願證寺と長島一向一揆殉教の碑(又木で三度名を替え、明治9年に願証寺を名乗った寺)|何があった場所か
桑名市長島町又木。桑名市は、願證寺を、戦国時代に織田信長と長島の一向宗門徒の間で起こった一向一揆の舞台となった寺として、悲惨な歴史を今に伝えていると記す。ただし、この場所に寺が建ったのは一揆の後である。同じ案内は、もともと寺は杉江(長島町杉江)にあり、一向一揆の時には長島城を拠点として織田方と戦った、と続ける。いまの願證寺は、江戸時代の兼帯所に再建されたものだという。
又木の寺がいまの名にたどり着くまでを、三重県の散策案内が年で追っている。長島一向一揆の後、寛永11年(1634)に旧願証寺門徒のため又木に祐泉寺が建てられ、桑名願証寺の通寺となった。承応年中(1650頃)に寺号を誓来寺と改め、正徳5年(1715)には西本願寺の末寺誓来寺兼帯願証寺となり、明治9年(1876)に正式に願証寺を名乗ることになった。一揆から三百年あまりの間に、この寺の名は三度替わっている。
境内には碑がある。三重県の案内は、昭和50年(1975)に一向一揆の400年の追悼法要がここで行われ、「長島一向一揆殉教の碑」も建立されたと記す。桑名市も、長島一向一揆の激しい戦いは上宮寺絵伝や長島一向一揆殉教の碑にしのばれる、と書く。一揆で亡くなった人の数について、桑名市は「一揆勢の死者は2万人にのぼったといわれており」と記す。数そのものではなく、いわれているという形で市は示している。

近くの痕跡
- 長島城跡(一向一揆の本城と、本丸の西南隅にあった大松)(戦の痕跡・約604m)
- 願証寺跡(長良川の底に沈んだ杉江の寺)(水の痕跡・約4.3km)
- 「四日市」の地名由来(四のつく日の定期市)(地の痕跡・約15.1km)
- 四日市空襲の中心被災地と殉難碑(鵜の森公園)(戦の痕跡・約16.3km)
時のながれ
- 1570年(元亀元年) — 長島願証寺を中心とした浄土真宗門徒が蜂起する。当時の願証寺は杉江にあった。
- 1571年〜1574年 — 織田信長の攻撃が3回にわたると桑名市は記す。
- 寛永11年(1634年) — 旧願証寺門徒のため、又木に祐泉寺が建てられ、桑名願証寺の通寺となる。
- 承応年中(1650年頃) — 寺号を誓来寺と改める。
- 正徳5年(1715年) — 西本願寺の末寺、誓来寺兼帯願証寺となる。
- 明治9年(1876年) — 正式に願証寺を名乗ることになる。
- 昭和50年(1975年) — 一向一揆の400年の追悼法要がここで行われ、「長島一向一揆殉教の碑」が建立される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 桑名市の願證寺の案内は、願證寺が戦国時代に織田信長と長島の一向宗門徒の間で起こった一向一揆の舞台となった寺であり、悲惨な歴史を今に伝えていると記す。所在地は桑名市長島町又木181-3とする。
- 同じ案内は、もともと寺は杉江(長島町杉江)にあり、一向一揆の時には長島城を拠点として織田方と戦ったとし、現在の願證寺は江戸時代の兼帯所に再建されたと記す。
- 同じ案内は、長島一向一揆の激しい戦いが上宮寺絵伝や長島一向一揆殉教の碑にしのばれると記す。
- 三重県の「城下町長島の歴史を訪ねて(全行程約5km)」は、長島一向一揆の後、寛永11年(1634)旧願証寺門徒のため又木に祐泉寺が建てられ桑名願証寺の通寺となった、承応年中(1650頃)寺号を誓来寺と改めた、正徳5年(1715)には西本願寺の末寺誓来寺兼帯願証寺となった、明治9年(1876)正式に願証寺を名乗ることになった、と記す。
- 同じ資料は、昭和50年(1975)に一向一揆の400年の追悼法要がここで行われ、「長島一向一揆殉教の碑」も建立されたと記す。
- 桑名市のキッズページ「長島一向一揆」は、本願寺の檄文に呼応した桑名周辺の門徒たちが長島願証寺に続々と集まり、願証寺証意を盟主として一揆を起こしたと記す。
- 同じページは、信長の攻撃が1571年から1574年まで3回にわたったこと、結果として一揆勢の死者は2万人にのぼったといわれていることを記す。
- 座標は国土地理院の逆ジオコーダで、桑名市(団体コード24205)長島町又木の区域にあたることを確認した(市の所在地表記と一致)。
そのため、このページではこうしています
- この場所は、一揆が起きた場所そのものではない。一揆の頃の願証寺は杉江にあり、又木の寺は一揆の後に建てられた寺である。
- 碑が建ったのは昭和50年、一揆から400年の法要のときである。碑は戦国のものではなく、昭和に建てられた弔いの場である。
- 死者の数は、桑名市が「いわれており」という形で示した範囲までを引いた。市自身が伝聞として示した数である。
- 現役の寺である。参拝の作法や時間を示す公的な案内は見あたらなかった。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 願証寺の創建年と開基を示す桑名市・三重県の公的資料には到達できなかった。
- 「2万人」の出どころとされる『信長公記』該当巻の原文には到達できなかった。桑名市も「いわれており」という形で記している。
- 殉教の碑の碑文の全文を示す資料には到達できなかった。
- 上宮寺絵伝の所在と公開の有無を示す公的な資料には到達できなかった。
- 境内の拝観時間・参拝の可否を示す公的な案内には到達できなかった。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 願證寺
桑名市(公式) - 長島一向一揆
桑名市(公式) - 城下町長島の歴史を訪ねて(全行程約5km)
三重県(三重の文化)
この場所について
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