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死 死の痕跡 資料確認済み

願證寺と長島一向一揆殉教の碑(又木で三度名を替え、明治9年に願証寺を名乗った寺)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定(ピンは桑名市長島町又木181-3の願證寺) / 最終確認日: 2026-09-15

桑名市長島町又木。桑名市は、願證寺を、戦国時代に織田信長と長島の一向宗門徒の間で起こった一向一揆の舞台となった寺として、悲惨な歴史を今に伝えていると記す。ただし、この場所に寺が建ったのは一揆の後である。同じ案内は、もともと寺は杉江(長島町杉江)にあり、一向一揆の時には長島城を拠点として織田方と戦った、と続ける。いまの願證寺は、江戸時代の兼帯所に再建されたものだという。

又木の寺がいまの名にたどり着くまでを、三重県の散策案内が年で追っている。長島一向一揆の後、寛永11年(1634)に旧願証寺門徒のため又木に祐泉寺が建てられ、桑名願証寺の通寺となった。承応年中(1650頃)に寺号を誓来寺と改め、正徳5年(1715)には西本願寺の末寺誓来寺兼帯願証寺となり、明治9年(1876)に正式に願証寺を名乗ることになった。一揆から三百年あまりの間に、この寺の名は三度替わっている。

境内には碑がある。三重県の案内は、昭和50年(1975)に一向一揆の400年の追悼法要がここで行われ、「長島一向一揆殉教の碑」も建立されたと記す。桑名市も、長島一向一揆の激しい戦いは上宮寺絵伝や長島一向一揆殉教の碑にしのばれる、と書く。一揆で亡くなった人の数について、桑名市は「一揆勢の死者は2万人にのぼったといわれており」と記す。数そのものではなく、いわれているという形で市は示している。

願證寺と長島一向一揆殉教の碑(又木で三度名を替え、明治9年に願証寺を名乗った寺)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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