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長島城跡(一向一揆の本城と、本丸の西南隅にあった大松)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定(ピンは桑名市が長島城跡として案内する長島中部小学校・長島中学校の一帯) / 最終確認日: 2026-09-15

桑名市長島町西外面。桑名市は、寛元3年に藤原道家が館を築いた後、長島一向一揆の本城、長島藩の居城を経て、現在は長島中部小学校・中学校の敷地になっていると記す。三重県の散策案内は、その間をもう少し細かく埋める。寛元3年(1245)に前関白藤原道家が長島に流されている時に西外面に館を築き、文明14年(1482年)に伊藤重晴が安濃郡から来てこの地方を占有し、この館跡に城砦を作った。元亀・天正年間(16世紀後半)には一向宗徒がここを攻略し、この城を中心に織田信長軍と戦ったが、敗れて落城した、と同じ案内は続ける。

城跡でいま目に入るのは、学校と、その校庭に立つ一本の松である。桑名市は校内の「大松」を天然記念物であり市の指定文化財だとし、クロマツの大樹で樹齢300年以上と推定され、長島城があった当時は本丸の西南にあったと記す。三重県の案内は、樹高約15m、胸高円周2.8mという寸法を添えて同じことを書く。樹齢300年以上という推定は下限を示すもので、一揆の落城の頃からあった木かどうかは、この数字からは決まらない。

城の建物で残っているものもある。桑名市は、長島城の大手門が明治9年に中町の蓮生寺山門となり、現在も残っていると記す。門の瓦には当時の藩主・増山家の家紋が見られ、建設時よりは小さくなっているが、長島城最後の建造物として貴重なものだという。城の敷地は学校になり、門だけが寺へ移って残った。

長島城跡(一向一揆の本城と、本丸の西南隅にあった大松)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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