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死 死の痕跡 資料確認済み

円徳寺(織田塚と、岐阜城を出た秀信が髪を剃った寺)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定(ピンは本堂) / 最終確認日: 2026-09-12
円徳寺の本堂。左右にビルが迫り、電線が横切る(2026年9月撮影)
円徳寺の本堂。左右にビルが迫り、電線が横切る(2026年9月撮影)

岐阜駅に近い神田町の街なかに、円徳寺(旧浄泉坊)がある。岐阜観光コンベンション協会は、天文16年(1547年)に織田信秀が井ノ口へ攻め入って斎藤道三に大敗し、5,000人ともいわれる戦死者が出たこと、この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築かれ、現在も円徳寺境内に安置されていることを記す。市の指定名称は「伝織田塚改葬地」で、伝と改葬地の二語が付いている。

境内には、岐阜城を出た織田秀信の記憶も残る。石標の側面には「織田秀信公剃髪遺蹟」と刻まれ、隣の文学碑には直木三十五の文章が「午後三時秀信は城を出て上加納の円徳寺へ入って髪を剃り十月二十八日高野山へ上ってしまった」と刻まれている。岐阜県の観光公式サイトは、関ヶ原の合戦の前哨戦「岐阜城の戦い」で池田輝政・福島正則に敗れた秀信が剃髪し仏門に入ったときの髪切塚があると記す。

この寺には国の重要文化財もある。岐阜県は、楽市楽座制札 附織田信長百姓帰住制札を重要文化財(国指定・平成5年6月10日指定)とし、4枚の制札が円徳寺に伝存し、縦約38cm、横約35cm、厚さ1.2cmの檜板に墨書されていると記す。県の記述は所在と指定を述べるにとどまり、公開についてはふれていない。

時のながれ

現地の写真

境内の文学碑。直木三十五の文章が刻まれている(2026年9月撮影)
境内の文学碑。直木三十五の文章が刻まれている(2026年9月撮影)
石標の側面。「織田秀信公剃髪遺蹟」と読める(2026年9月撮影)
石標の側面。「織田秀信公剃髪遺蹟」と読める(2026年9月撮影)
円徳寺(織田塚と、岐阜城を出た秀信が髪を剃った寺)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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