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伊木山城跡(信長が美濃攻略の第一歩に攻め取った山と、埋め戻された石垣)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定(ピンは山頂の説明板と中央曲輪。標高173m) / 最終確認日: 2026-09-12
山頂の説明板「伊木山城」。縄張図と発掘写真が並ぶ(2026年9月撮影)
山頂の説明板「伊木山城」。縄張図と発掘写真が並ぶ(2026年9月撮影)

木曽川の北岸に立つ標高173mの伊木山は、いま各務原市の「伊木の森」として開かれている。山頂に各務原市教育委員会の説明板が立ち、永禄八年(1565)に織田信長が斎藤龍興方の拠点であったこの山を攻め取り、砦を築いたと記す。江戸時代の『美濃雑事記』には「天守台東西六間(10・9m)、南北四間三尺(8・18m)石垣台形今に存在す」とあり、石垣のある城跡として認識されていた。

平成12年と22年の発掘調査で、六つの曲輪と、北側に広く築かれた石垣が確認された。石垣の裏には排水のための「裏込め石」が詰められており、市教育委員会は、織豊期以前でこれを用いている美濃国内の城は岐阜城・大桑城・伊木山城のみだと記す。ただし同じ板は、その石垣を築いたのが美濃の斎藤氏なのか、山を攻め取った後の信長なのかは分かっていない、とも書く。石垣は保存のため埋め戻され、いま林床にあるのは「中央曲輪」と記された小さな金属標だけである。

時のながれ

現地の写真

落葉の林に立つ「中央曲輪」の標(2026年9月撮影)
落葉の林に立つ「中央曲輪」の標(2026年9月撮影)
山頂から見下ろす木曽川と濃尾平野(2026年9月撮影)
山頂から見下ろす木曽川と濃尾平野(2026年9月撮影)
伊木の森の入口に立つ開園時間と閉門の看板(2026年9月撮影)
伊木の森の入口に立つ開園時間と閉門の看板(2026年9月撮影)
伊木山城跡(信長が美濃攻略の第一歩に攻め取った山と、埋め戻された石垣)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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この痕跡を掘り下げた記事

参考・出典

3件出典に基づいて掲載している
  • 現地説明板「伊木山城」
    各務原市教育委員会(令和5年8月・2026-09-12 撮影確認)
  • 現地説明板「伊木山城と伊木清兵衛忠次」
    各務原市教育委員会(令和5年8月・2026-09-12 撮影確認)
  • 施設案内 伊木の森
    各務原市(公式)

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