南浜墓所跡(大坂七墓)|何があった場所か

江戸期の「大坂七墓」の一つと伝わる南浜墓所の推定地。七墓の多くは市街化で姿を消し、位置の特定が難しくなっているが、南浜墓所自体は蒲生と並ぶ数少ない現存例で、大阪市設南浜霊園(北区豊崎一丁目)として現在も位置を特定できる。霊園内の道引之地蔵・六地蔵7躯は、平成28年度に大阪市指定文化財(有形民俗文化財)となった。
時のながれ
- 江戸期 — 大坂夏の陣後の都市復興・墓地集約政策により、大坂市街周縁部に大坂七墓(梅田・南浜・葭原・蒲生・小橋・千日・鳶田)が形成された。南浜墓所の六地蔵は貞享4年(1687年)に北野村夜念仏により造立。
- 明治 — 1874年(明治7年)、市中の墓地は長柄・阿倍野・岩崎新田の3か所に再編。道引之地蔵は明治24年(1891年)造立。大坂七墓のうち南浜と蒲生の両墓地のみが現在に姿を残す。
- 現代 — 南浜墓所は大阪市設南浜霊園(大阪市北区豊崎一丁目)として現存。道引之地蔵・六地蔵7躯は平成28年度に大阪市指定文化財(有形民俗文化財)に指定されている。
現地の写真


近くの痕跡
- 「豊崎」地名と難波長柄豊碕宮伝承(豊崎神社)(地の痕跡・約412m)
- 中津川跡(新淀川に呑まれた旧河道・北区中津)(水の痕跡・約843m)
- 堀川監獄跡(扇町公園)(死の痕跡・約870m)
- 「梅田=埋田」地名伝承(地の痕跡・約1.1km)
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 墓所が実在したことと所在地は、自治体および学術資料で確認した。
そのため、このページではこうしています
- ピンは北区豊崎一丁目の中心付近である。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 行基が開いたとする起源は伝承として語られるもので、裏づける資料には到達できていない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 大阪七墓 - Wikipedia
Wikipedia(脚注に大阪市教育委員会発表・学術書籍を引用) - 大阪市設南浜霊園|もしもドットネット
民間霊園情報サイト - 【梅田の隣】現存する“大阪七墓”の一つ・南浜墓地のある大阪市北区「豊崎」を歩く
個人ブログ(現地取材) - 南浜墓地の道引之地蔵・六地蔵 7躯(大阪市指定文化財 平成28年度・有形民俗文化財)
大阪市(公式) - 都市史としての墓地:大阪市公営墓地の変遷と無縁化社会の進行(槇村久子、京都女子大学『現代社会研究科論集』第6号、2012年)
CiNii(学術情報)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :時のながれの2項目と参考・出典の3件を改めた。主な変更は、六地蔵の造立年を記銘の貞享4年に合わせて「1685年」から「1687年」に直したこと、大阪市指定文化財について「登録」を「指定」に改め、平成28年度の指定と添えたことだ。参考・出典の大阪市の資料・論文・事典の表題も、それぞれの実際の表題に合わせた。
- :説明文に、時のながれにある、霊園内の道引之地蔵・六地蔵7躯が大阪市指定文化財になったことを足した。
この場所について
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