浅草御蔵跡(「蔵前」の地名由来)|何があった場所か
江戸幕府が全国の天領から集めた年貢米などを収めた米蔵・浅草御蔵の跡。大坂・京都二条城と並ぶ三御蔵の一つとされた。この御蔵の前にあたることが町名「蔵前」の由来とされ、隅田川沿いの蔵前橋西詰に跡碑が立つ。
時のながれ
- 元和6年(1620) — 鳥越の丘を切り崩した土で隅田川西岸を埋め立て、浅草御蔵が造営された。
- 江戸時代中期以降 — 御蔵の周辺が米に関わる町として栄え、御蔵の前の地が「蔵前」と呼ばれるようになったとされる。
- 昭和9年(1934) — 周辺の町の統合により、正式な町名として「蔵前」が誕生した。
- 昭和31年(1956) — 浅草南部商工観光協会により浅草御蔵跡碑が建立された。
備考
台東区公式観光サイトと台東文化探訪アーカイブス(区公式)の2つの独立した区資料で内容が一致。碑の所在地は区公式記載の台東区蔵前2-1(蔵前橋西詰)。座標は蔵前橋の橋座標から西詰北側を推定補正したもの。造営時に鳥越の丘を切り崩した土で埋め立てた経緯も区公式資料で確認。
近くの痕跡
- 旧陸軍被服廠跡(横網町公園・東京都慰霊堂)(死の痕跡・約444m)
- 「鳥越」の地名由来と鳥越の丘(地の痕跡・約603m)
- 「両国」の地名由来(両国橋)(地の痕跡・約803m)
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約1.4km)
参考・出典
- 浅草御蔵跡碑|TAITOおでかけナビ
台東区公式観光情報サイト - 台東文化探訪アーカイブス 台東区の史跡・名所案内(鳥越・蔵前・浅草橋・柳橋)
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