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足尾銅山跡(日本の銅の4分の1を産した山と、渡良瀬川の鉱毒)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

日光市足尾町の山あいに、国の史跡足尾銅山跡が点在する。文化庁は、天文19年(1550)に発見されたと伝えられ、慶長15年(1610)に本格的な経営が始まり、慶安元年(1648)から幕府の御用銅山になったと記す。日光市によれば、ここの銅は江戸城や日光山、寛永寺、増上寺の銅瓦に使われた。明治10年(1877)に古河市兵衛が買収して新しい技術を入れ、20世紀初めには日本の銅産出量の4分の1を担うまでになったと文化庁は記す。

一方で、廃水や廃石、製錬のかすに含まれる有害物質と、製錬の排煙(亜硫酸ガス)で裸地になった松木地区の土砂が渡良瀬川へ流れ出た。日光市は、明治23年(1890)8月の大洪水による下流の農作物被害を機に鉱害問題が表面化し、翌年12月に田中正造が帝国議会で質問したと記し、これをわが国初の公害事件とする。明治29年(1896)から予防工事命令が重ねて出された。昭和48年(1973)2月28日に閉山し、輸入鉱石による製錬も昭和63年(1988)に事実上止まった。

平成20年(2008)3月28日、基幹坑道の通洞坑と宇都野火薬庫跡が史跡に指定され、平成26年に本山地区の4か所が加わった。通洞坑は閉山後の昭和55年(1980)から、市の観光施設「足尾銅山観光」として坑内の一部が公開されている。

足尾銅山跡(日本の銅の4分の1を産した山と、渡良瀬川の鉱毒)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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