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道了堂跡(明治7年、鑓水の生糸商人が絹の道の峠に建てたお堂)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

安政6年(1859)に横浜が開港すると、八王子周辺で生産された生糸は八王子宿に集められ、鑓水を通って横浜へ運ばれた。八王子市によれば、この道はかつて神奈川往還または浜街道と呼ばれ、鉄道が発達する明治の中ごろまで輸出用生糸の道の一つだった。生糸の取引で短期間に巨額の富を得た鑓水の商人は鑓水商人と呼ばれ、その一人の八木下要右衛門は見事な石垣の屋敷を構え、鑓水の石垣大尽とも呼ばれた。屋敷跡には平成2年(1990)3月に絹の道資料館が開かれた。

峠の一番高い大塚山には、道を行き交う旅人や村内の安全を祈る道了堂があった。市は、明治7年(1874)に鑓水商人の大塚忢郎吉が中心となり、浅草花川戸から道了尊を勧請して建てたと記す。境内には書院や庫裏が並び、桜が植えられ、山頂からは十二州を見晴らせたといわれる。お堂は取り壊され、跡地は平成2年に大塚山公園として整備された。いまは礎石の跡と灯籠が残る。公園の入口に建つ絹の道碑は、昭和32年(1957)に郷土史家の橋本義夫が建てたもので、絹の道という呼び名はこの碑に由来する。御殿橋のたもとから碑の前までの約1.5キロメートルは市の史跡で、未舗装の部分は平成8年(1996)に文化庁の歴史の道百選に選ばれた。

道了堂跡(明治7年、鑓水の生糸商人が絹の道の峠に建てたお堂)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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