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東勝寺跡(1333年・北条一門の最期の地)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

鶴岡八幡宮の南東、滑川を渡った葛西ヶ谷と呼ばれる谷戸に、北条得宗家の氏寺だった東勝寺の跡がある。鎌倉市によると、寺は13世紀中頃に三代執権北条泰時の命で退耕行勇を開山として創建されたと伝わる。元弘3年(1333)、新田義貞らの鎌倉攻めの際、第14代執権北条高時は東勝寺に逃げ込み、一族郎党とともに自害した。文化庁の解説はその日を5月22日とする。ともに自害した人数については、『太平記』が伝える数として一族郎党以下870余人を文化庁の解説が挙げ、鎌倉市も同じ数を記す。寺はのちに再建されて室町時代には関東十刹の第三位に列したが、永正9年(1512)から元亀4年(1573)の間に廃絶したと考えられている。

昭和50年(1975)と平成8〜9年(1996〜1997)の発掘で、石垣や石敷きの道、門跡、礎石建物跡、火災の痕跡、北条氏の紋である三鱗文の瓦が見つかった。平成10年(1998)7月31日に国の史跡に指定されている。遺構は埋め戻されて草地となり、跡地には立ち入れない。鎌倉市は、フェンスの外から中世に造成されたひな壇状の平場の地形が見えると記す。近くには腹切りやぐらと通称されるやぐらがあり、高時らがここで自害したという伝承からその名が付いたとされる。付近は落石と岩盤剥離の危険から立入禁止となっている。

東勝寺跡(1333年・北条一門の最期の地)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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