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長久手古戦場(天正12年、池田恒興父子と森長可が戦死した主戦場)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

天正12年(1584)、羽柴秀吉と、織田信雄・徳川家康の連合軍が尾張で対峙した小牧・長久手の戦いの主戦場である。長久手市によると、4月6日夜半、池田勝入(恒興)・元助父子と森長可を先頭に、約24,000人の軍勢が家康の拠点の岡崎へ向けて進み始めた。家康はこれを追い、4月9日、長久手で両軍が激しくぶつかった。昼ごろ家康の本営へ突進した長可が銃弾を頭に受けて戦死し、戦闘は午後1時に終わった。勝入は永井直勝に、元助は安藤直次に討たれたと市は記す。勝入49歳、元助26歳、長可は27歳であった。

一帯は昭和14年(1939)9月7日に国の史跡に指定された。指定の名称は「長久手古戦場 附 御旗山 首塚 色金山」である。文化庁のデータベースの解説は、字仏ヶ根に勝入、南の字武蔵塚にその子、さらに西へ約二町に長可の墓地があり、いずれも明和8年(1771)12月に建てられた標があると記す。首塚は大字岩作字元門にあり、宝永3年(1706)4月の石標と明治43年(1910)4月の碑があるとされる。色金山には家康が戦況を見る際に床几の代わりにしたと伝わる三つの石が、御旗山には家康が旗を立てたと伝わる場所がある。池田父子の塚は古戦場公園の中に残り、公園内には令和8年(2026)4月22日に長久手古戦場記念館が開館した。

長久手古戦場(天正12年、池田恒興父子と森長可が戦死した主戦場)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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