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旧岩淵水門(荒川放水路と隅田川を分けた大正の赤い水門)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

荒川と隅田川が分かれる北区志茂の地先に、赤く塗られた鉄筋コンクリートの水門が残る。荒川下流河川事務所によると、当時の荒川(いまの隅田川)の沿川では明治元年から明治43年までに床上浸水などの被害を出した洪水が10回以上起き、なかでも明治43年(1910)の洪水の被害が甚大だった。これを契機に、明治44年(1911)、岩淵から新しい川を掘る荒川放水路事業が始まった。同事務所は、工事で移転を余儀なくされた住民が1,300世帯にのぼり、移転の対象には民家や田畑のほか鉄道や寺社も含まれたと記す。

水門は放水路と旧河道の分かれ目に、大正5年(1916)に国の直轄事業として着工され、大正13年(1924)に完成した。設計は内務省の青山士が担当した。幅9.09メートルの門が5つ並び、出水時に隅田川へ流れ込む水を毎秒830立方メートル以下に抑える役目を負った。水門の完成で放水路は上流から下流までつながって通水し、放水路の全体は昭和5年(1930)に完成した。その後、東京東部の地盤沈下と計画高水位の見直しで高さが足りなくなり、約300メートル下流に新しい岩淵水門が昭和57年度(1982)に本体工事の概成を迎えて、旧水門は約60年の役目を終えた。放水路の通水時に造られた水門と閘門のうち、現存する唯一の施設とされ、令和6年(2024)8月15日に国の重要文化財に指定された。

旧岩淵水門(荒川放水路と隅田川を分けた大正の赤い水門)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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