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観音崎の砲台跡(明治13年に着工した、東京湾要塞のはじまりの砲台群)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

三浦半島の東端、浦賀水道に突き出た観音崎の丘に、明治の陸軍が築いた砲台の跡が点在する。横須賀市教育委員会の保存活用計画は、東京湾要塞を近代日本で最初に建設された要塞とし、明治13年(1880)起工の観音崎砲台をその嚆矢と記す。同計画によると、この年の4月に観音崎と三軒家を結ぶ新道の開削が始まり、続いて第一・第二砲台の工事に着手した。同計画の一覧表では、第一砲台の起工は明治13年6月5日、第二砲台は同年5月26日で、竣工はどちらも明治17年6月27日である。

観音崎砲台は第一から第四砲台と南門砲台などからなり、第一砲台に24センチ加農砲2門、第二砲台に同じく6門が備えられた。富津岬との間の海峡より手前の海面を守る砲台群の中核で、沖の猿島砲台とも連携した。横須賀市によると、一帯は明治から砲台が築かれて軍の要塞となり、昭和20年(1945)8月15日の終戦まで一般の人は立ち入れなかった。昭和50年(1975)に広さ70.4ヘクタールの県立観音崎公園となり、園内には北門第一砲台跡、北門第二砲台跡、三軒家砲台跡などが残る。

観音崎の砲台跡(明治13年に着工した、東京湾要塞のはじまりの砲台群)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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