犬鳴山七宝瀧寺(葛城修験の行場と、犬が吠えて変わった山の名)|何があった場所か
大阪府泉佐野市大木、和泉山脈の犬鳴川の渓谷に七宝瀧寺がある。泉佐野市文化財課は、斉明天皇7年(661)に役小角が開いたと伝えられる葛城修験の中心的な行場で、葛城二十八宿の第八宿にあたると記す。山号の犬鳴山には義犬の伝説が伝わる。寺の縁起では、鹿を狙う猟師のそばで犬が吠え続け、獲物を逃した猟師に切られながらも、猟師を狙っていた大蛇にかみついて主を救った。これを聞いた宇多天皇が報恩の義犬とたたえ、それまでの一乗山(鈴杵ヶ岳)の名を改めて犬鳴山の号を与えたと伝わる。
文字の記録では、日根荘に滞在した九条政基の『政基公旅引付』に犬鳴山や七宝瀧寺、子院の名が見え、文亀元年(1501)7月20日の条には寺僧が火走神社で雨乞いの神事を行った記事がある。政基が文亀2年(1502)に書き写した『七宝瀧寺縁起』は九条家に残り、この山を8番目の行場と記す。寺の南の燈明ヶ岳には長禄3年(1459)の銘をもつ第八経塚の碑がある。大阪府は昭和14年(1939)に犬鳴山を府の名勝に指定し、文化庁の日本遺産では日根荘と葛城修験の二つの物語の構成文化財となっている。

近くの痕跡
- 湖の底の滝畑(滝畑ダムの建設で水没した河内長野の山里)(水の痕跡・約14.5km)
- 「毛穴(けな)」の地名(鎌倉期から続く難読地名)(地の痕跡・約22.6km)
- 「百舌鳥」地名の由来(百舌鳥古墳群・百舌鳥耳原伝承)(地の痕跡・約26.0km)
- 「三国ヶ丘」と三国の境(市名「堺」の由来)(地の痕跡・約27.2km)
時のながれ
- 斉明天皇7年(661) — 役小角が開いたと伝えられる(泉佐野市文化財課)。
- 寛平2年(890) — 寺の縁起が義犬伝説の年とする。泉佐野市文化財課の解説は天徳年間(957〜960)とする。
- 長禄3年(1459) — 10月15日の銘をもつ経塚碑が燈明ヶ岳の第八経塚に残る。
- 文亀元年(1501) — 7月20日、『政基公旅引付』に七宝瀧寺の寺僧が火走神社で雨乞いの神事を行った記事。
- 文亀2年(1502) — 11月、九条政基が『七宝瀧寺縁起』を書き写す。縁起はこの山を8番目の行場と記す。
- 昭和14年(1939) — 2月6日、大阪府が犬鳴山を府の名勝に指定する。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 開創の伝え、葛城二十八宿の第八宿、『政基公旅引付』の雨乞いの記事と『七宝瀧寺縁起』の書写は、泉佐野市文化財課が文化庁の日本遺産ポータルに記す。府の名勝の指定日は大阪府の文化財一覧による。
- 第八経塚の長禄3年の銘は、葛城修験の日本遺産を紹介する推進協議会の資料による。
そのため、このページではこうしています
- ピンは本堂の位置である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 義犬伝説の出来事を同時代に記した記録は確認できていない。
- 義犬伝説の年代は、七宝瀧寺が寛平2年(890)3月、泉佐野市文化財課が天徳年間(957〜960)とし、一致しない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
6件出典に基づいて掲載している
- 犬鳴山七宝瀧寺(日本遺産ポータル #075 旅引付と二枚の絵図が伝えるまち)
文化庁(文責 泉佐野市文化財課) - 犬鳴山(日本遺産ポータル #075)
文化庁(文責 泉佐野市文化財課) - 犬鳴山(七宝瀧寺)(日本遺産ポータル #099 葛城修験)
文化庁 - 犬鳴山七宝瀧寺鈴杵ヶ嶽 五百弟子受記品(第八経塚)
葛城修験日本遺産活用推進協議会 - 由来と縁起・七宝瀧寺の歴史
真言宗犬鳴派大本山 七宝瀧寺 - 大阪府内指定等文化財一覧表(泉佐野市)
大阪府
この場所について
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