深泥池(氷河期の生きものが残る池)|何があった場所か
京都盆地の北端、京都市北区上賀茂にある深泥池は、周囲約1.5キロメートル、面積約9ヘクタールの小さな池である。京都府の資料によれば、東から西へ下る谷の出口が賀茂川の扇状地の堆積物でせき止められてできた池と考えられ、本格的に水がたまり始めたのは約1万年前以降である。池の中央には池の面積の3分の1を占める浮島がある。京都市によれば、浮島の下には水の層があり、夏には浮かび上がり、冬には沈んで水をかぶる。
浮島は、分解されにくい植物の遺体が積み重なった上にミズゴケなどが育った高層湿原で、本来は寒冷地に発達するものである。京都府は、地下から湧く冷たい水が池の水温の上昇を防ぎ、この湿原を保っていると考えられるとし、ホロムイソウやミズグモなどを最終氷期からの生き残りの種として挙げる。昭和2年(1927)6月14日に水生植物群として国の天然記念物に指定され、昭和63年(1988)には対象が動物を含む生物群集全体に広げられ、深泥池生物群集の名に改められた。京都府は、近年の富栄養化や外来魚の侵入、シカによる食害も記している。

近くの痕跡
- 鴨川(賀茂川)の氾濫史(出雲路橋周辺・昭和10年大水害)(水の痕跡・約2.3km)
- 応仁の乱 勃発地(御霊神社・御霊合戦の旧跡)(戦の痕跡・約2.6km)
- 船岡山(平安京の北の基点と伝わる玄武の小山)(方位の痕跡・約3.2km)
- 百々橋の礎石(応仁の乱で東西両軍が争った橋の跡)(戦の痕跡・約3.2km)
時のながれ
- 約1万年前 — この頃以降、池に本格的に水がたまり始める(京都府)。
- 昭和2年(1927) — 6月14日、水生植物群として国の天然記念物に指定される。
- 昭和3年(1928) — 2月9日、京都市が管理団体となる(文化庁)。
- 昭和63年(1988) — 指定の対象が動物を含む生物群集全体に広がり、深泥池生物群集の名になる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 京都市は指定年月日を昭和2年6月14日とし、昭和63年に生物群集全体が対象になったと記す。文化庁の文化遺産オンラインも同じ指定年月日を示し、管理団体を京都市とする。
- せき止めによる池の成り立ち、約1万年前以降の湛水、最終氷期からの生き残りとされる生物は、京都府のレッドデータブックの記述による。
そのため、このページではこうしています
- 読みは、京都市が「みぞろがいけ」、文化庁が「みどろがいけ」と示し、京都府は両方を並べる。
- ピンは池の中央付近の代表点である。
現地確認: 未実施
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 深泥池(記念物ガイド)
京都市 文化市民局 文化財保護課 - 深泥池生物群集(文化遺産オンライン)
文化庁 - 深泥池(京都府レッドデータブック2015 地形・地質)
京都府 - 深泥池水生植物群落(京都府レッドデータブック2015 生態系)
京都府 - 深泥池生物群集(全国文化財総覧)
奈良文化財研究所
この場所について
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