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殺生石(蜂や蝶が重なり死すと芭蕉が記した硫黄の裸地と、九尾の狐の伝承)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

那須岳の麓、那須温泉神社の本殿から北へ200メートルほど、湯本温泉街の湯川に沿った斜面に殺生石がある。那須町は、硫黄のにおいがただよう荒涼とした所と記す。栃木県は、殺生石と伝わる大岩のまわりに約80メートル四方の裸地が広がり、砂礫地と周囲の緑の山腹との対比が独特の景観を示すと記す。松尾芭蕉は元禄2年(1689)の旅でここを訪れ、『おくのほそ道』に「石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す」と書き、「石の香や夏草赤く露あつし」の句を残した。平成26年(2014)3月18日、殺生石はおくのほそ道の風景地の一つとして国の名勝に指定された。

九尾の狐の物語は伝承である。那須町によれば、文献では文安2年(1445)の『下学集』に初めて現れる。天竺と唐から飛来した九尾の狐が玉藻の前という美女に化けて鳥羽院の妃となり、陰陽師の安倍泰成に正体を見破られて那須野へ逃れ、上総介広常と三浦介義純に討たれると巨石に化して毒気をふりまき、人や家畜、鳥や獣に害を及ぼしたと伝わる。室町時代に源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残ったとされる。那須町の広報誌は、2022年3月5日に殺生石が割れていることが判明したと記す。

殺生石(蜂や蝶が重なり死すと芭蕉が記した硫黄の裸地と、九尾の狐の伝承)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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