殺生石(蜂や蝶が重なり死すと芭蕉が記した硫黄の裸地と、九尾の狐の伝承)|何があった場所か
那須岳の麓、那須温泉神社の本殿から北へ200メートルほど、湯本温泉街の湯川に沿った斜面に殺生石がある。那須町は、硫黄のにおいがただよう荒涼とした所と記す。栃木県は、殺生石と伝わる大岩のまわりに約80メートル四方の裸地が広がり、砂礫地と周囲の緑の山腹との対比が独特の景観を示すと記す。松尾芭蕉は元禄2年(1689)の旅でここを訪れ、『おくのほそ道』に「石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す」と書き、「石の香や夏草赤く露あつし」の句を残した。平成26年(2014)3月18日、殺生石はおくのほそ道の風景地の一つとして国の名勝に指定された。
九尾の狐の物語は伝承である。那須町によれば、文献では文安2年(1445)の『下学集』に初めて現れる。天竺と唐から飛来した九尾の狐が玉藻の前という美女に化けて鳥羽院の妃となり、陰陽師の安倍泰成に正体を見破られて那須野へ逃れ、上総介広常と三浦介義純に討たれると巨石に化して毒気をふりまき、人や家畜、鳥や獣に害を及ぼしたと伝わる。室町時代に源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残ったとされる。那須町の広報誌は、2022年3月5日に殺生石が割れていることが判明したと記す。

時のながれ
- 文安2年(1445) — 那須町によれば、九尾の狐の物語が『下学集』に文献として初めて現れる。
- 元禄2年(1689) — 松尾芭蕉が奥の細道の旅でこの地を訪れ、石の毒気と、重なって死ぬ蜂や蝶を書きとめ、石の香やの句を残す。
- 平成26年(2014)3月18日 — おくのほそ道の風景地の一つとして国の名勝に指定される。
- 2022年3月5日 — 那須町の広報誌によれば、殺生石が割れていることが判明する。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 文化庁の国指定文化財等データベースは、名勝「おくのほそ道の風景地」の構成に殺生石を含め、指定年月日を2014年3月18日と記す。栃木県も平成26年3月18日の指定とし、所在地を那須町大字湯本と記す。
- 那須町は、九尾の狐の物語が文献上は文安2年(1445)の『下学集』に初めて登場し、のちに謡曲や江戸時代の演劇の題材になって広く知られたと記す。
- 那須町の『広報那須』2022年5月号は、九尾の狐の伝説にまつわる史跡「殺生石」が3月5日に割れていることが判明したと記す。
そのため、このページではこうしています
- 九尾の狐と源翁和尚の話は伝承であり、史実としては扱えない。資料で確かめられるのは、名勝の指定、芭蕉の記述、硫黄のにおいが漂う裸地という景観である。
- ピンは殺生石と伝わる大岩の付近を示す。周辺は硫黄のにおいが漂う場所であり、歩ける範囲は現地の案内にしたがいたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 石が割れた原因や、割れる前後の石の大きさを示す記述は、那須町の公開資料では確認できない。
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 国指定名勝「殺生石(せっしょうせき)」と那須伝説「九尾の狐」
那須町 - 殺生石
那須町 - 広報那須 2022年5月号 カメラスケッチ「割れた殺生石 九尾の狐は平和のために」
那須町 - おくのほそ道の風景地(草加松原 ガンマンガ淵 八幡宮 殺生石 遊行柳 ほか)
文化庁 国指定文化財等データベース(文化遺産オンライン) - おくのほそ道の風景地 ガンマンガ淵(慈雲寺境内) 八幡宮(那須神社境内) 殺生石 遊行柳(清水流るゝの柳)
栃木県(とちぎの文化財)
この場所について
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