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多摩湖(村山貯水池の建設で湖底になった宅部の谷の村)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

東大和市の多摩湖は東京都水道局の村山貯水池の通称で、狭山丘陵の谷を利用したアースダム形式の貯水池である。西側の村山上貯水池は大正13年(1924)3月、東側の村山下貯水池は昭和2年(1927)3月にしゅん工した。東大和市によれば、東京市が明治45年(1912)に狭山丘陵への貯水池建設を決め、大正時代に入ると谷あいの土地が次々と買収されていった。

湖底になったのは、宅部川が西から東へ流れる谷の集落である。多摩湖町自治会のサイトに載る地域の広報紙『ふれあいたまこ』第56号(令和3年9月)の連載によると、移転時の戸数は上宅部42戸、中田5戸、林12戸、杉本8戸、内堀38戸、荒ヶ谷10戸、石川46戸の計161戸で、ほかに下の堰堤の下になった東村山側が23戸あった。同じ記事は、谷にあった神社・寺・堂・道・橋の名も挙げている。東大和市の案内冊子は、三光院がもとは下貯水池の取水塔付近にあり、工事により大正12年(1923)に現在地へ移ったと記す。昭和51年(1976)に水が抜かれた際の発掘では、約2万年前の石器が見つかった。

多摩湖(村山貯水池の建設で湖底になった宅部の谷の村)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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