狭山湖(山口貯水池の建設で湖底になった勝楽寺の村)|何があった場所か
所沢市の狭山湖は東京都水道局の山口貯水池で、柳瀬川の上流をせき止めた人造湖である。所沢市によれば、東京市(当時)の人口増に対して村山貯水池(多摩湖)に続いて計画され、昭和4年(1929)に着工し、3年後に通水式が行われた。水道局はしゅん工を昭和9年(1934)3月とし、アースダム形式、堤高33.9メートル、有効貯水量19,528,000立方メートルと記す。
この計画で山口村大字勝楽寺の大部分と大字上山口の一部が水没することになり、所沢市文化財保護課は282軒の家が移転を余儀なくされたと記す。所沢市広報課の解説は同じ移転を282戸、1720人とし、人々はほかの山口村や小手指村、村山村などへ移ったと記す。勝楽寺の名は奈良時代の創建と伝える勝楽寺仏蔵院に由来し、寺は下山口駅の近くへ移った。勝楽寺の子どもたちが通った西狭山小学校も湖底に沈み、所沢市立所沢図書館は延べ1,078名の児童が通ったと記す。取水塔の修理などで湖底が現れたときには、道の跡や道の分かれ目を示す石柱、柳瀬川の本流の跡が見えたという。

近くの痕跡
- 多摩湖(村山貯水池の建設で湖底になった宅部の谷の村)(水の痕跡・約3.7km)
- 滝山城跡(永禄12年、武田信玄の攻撃をしのいだ北条氏照の城)(戦の痕跡・約10.1km)
- 道了堂跡(明治7年、鑓水の生糸商人が絹の道の峠に建てたお堂)(地の痕跡・約16.9km)
- 八王子城跡(天正18年、一日で落ちた北条氏照の山城)(戦の痕跡・約17.9km)
時のながれ
- 1902年 — 山口・上山口・勝楽寺の三村が合併して山口村となる。
- 1927年 — 隣の村山貯水池(多摩湖)が完成する。
- 1929年 — 山口貯水池が着工し、大字勝楽寺と大字上山口の一部の282軒が移転する。
- 1932年 — 着工から3年後に通水式が行われる。
- 1934年 — 3月、山口貯水池がしゅん工する。
- 2002年 — 11月、堤体強化工事がしゅん工する。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 所沢市文化財保護課は、昭和4年に山口村大字勝楽寺と堀口(大字上山口)の一部が山口貯水池の敷地として全村移転を余儀なくされ、移転した家は282軒と記す。所沢市広報課の解説は282戸、1720人と記す。
- 東京都水道局は、山口貯水池のしゅん工を昭和9年3月、所在地を所沢市勝楽寺25番地の2と記す。
そのため、このページではこうしています
- 移転の規模は、所沢市の二つのページがそれぞれ282軒、282戸と記し、数え方の語が異なる。水没した地域は、明治35年の合併以降は山口村の大字勝楽寺と大字上山口の一部で、当時すでに独立した勝楽寺村ではなかった。
- ピンは水道局が所在地とする勝楽寺25番地の代表点で、湖の西寄りにあたる。
現地確認: 未実施
参考・出典
6件出典に基づいて掲載している
- 山口貯水池(ところざわ歴史物語 活用TIPS)
所沢市(教育委員会 文化財保護課) - 勝楽寺の景観(写真で見るところざわの移り変わり)
所沢市(教育委員会 文化財保護課) - 狭山湖の歴史
所沢市(経営企画部 広報課) - 村山・山口貯水池(多摩湖・狭山湖)
東京都水道局 - 湖底の小学校 西狭山小学校(所沢の足跡)
所沢市立所沢図書館 - 狭山湖に沈んだ勝楽寺村について知りたい。(レファレンス協同データベース)
所沢市立所沢図書館(国立国会図書館 レファレンス協同データベース)
この場所について
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