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加瀬山の古墳群と「夢見ヶ崎」の地名(太田道灌が城をあきらめたと伝わる台地)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

矢上川下流の低地に、標高30メートルほどの細長い台地が突き出している。夢見ヶ崎、または加瀬山と呼ばれる。川崎市教育委員会によると、台地の上には分かっているだけで11基の古墳や古墳と考えられる塚が築かれ、加瀬台(夢見ヶ崎)古墳群と総称される。築造は4世紀後半から7世紀後半にかけてと考えられている。西端の白山古墳は全長87メートルの前方後円墳で、昭和12年(1937)の発掘では三角縁神獣鏡などが見つかった。西隣の第六天古墳の横穴式石室からは11体の遺骸が見つかっている。この2基はすでに失われ、台地の上にはいま7基が残る。

夢見ヶ崎という地名は、太田道灌がここに城を築こうとしたが、鷲に兜を取られる縁起の悪い夢を見て築城をあきらめたという伝承にちなむといわれる。白山古墳の後円部の下からは、昭和17年(1942)の土取り工事中に12世紀後半の渥美窯の壺が見つかり、中には火葬された骨が詰まっていた。この秋草文壺は昭和28年(1953)に国宝に指定され、慶應義塾大学が所蔵している。台地の上は現在、市の夢見ヶ崎動物公園になっている。

加瀬山の古墳群と「夢見ヶ崎」の地名(太田道灌が城をあきらめたと伝わる台地)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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