🗺 痕跡マップをひらく
戦 戦の痕跡 資料候補

石神井城跡と三宝寺池(文明9年、太田道灌に攻め落とされた豊島氏の城)|何があった場所か

史実として広く知られているが、当プロジェクトとしては一次資料での検証が未完了の情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-28

練馬区石神井台の都立石神井公園で、三宝寺池と南の石神井川の谷とに挟まれた台地に、豊島氏の城館だった石神井城の跡がある。東京都教育委員会の資料は、豊島氏が鎌倉時代末期ごろから室町時代にかけて武蔵国豊島郡を中心に勢力をもち、石神井の地域も支配していたと記す。練馬区によれば、文明9年(1477)、豊島勘解由左衛門尉が城主のときに太田道灌に攻め落とされ、以後は廃城となった。城の中心にあたる内郭の土塁と空堀が今も残る。

城跡は大正8年(1919)に三宝寺池とともに旧跡に指定され、平成23年(2011)6月9日に都の史跡へ種別が変わった。平成10年の発掘では空堀が見つかり、平成12年の調査では土塁の盛土の下層から鉄製の小刀が出ている。北の三宝寺池は武蔵野三大湧水池のひとつに数えられた池で、浮島の沼沢植物群落は昭和10年(1935)12月に国の天然記念物に指定された。いまは湧き水が減り、井戸から汲み上げた地下水で池を満たしている。池のほとりには殿塚と姫塚があり、道灌の軍勢に追われた当主の泰経が白馬で池に沈み、娘の照姫もあとを追ったと伝わる。

石神井城跡と三宝寺池(文明9年、太田道灌に攻め落とされた豊島氏の城)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

近くの痕跡

練馬区 の痕跡一覧を見る →

痕跡マップでこの地点を開く →

時のながれ

編集部の調査メモ

このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。

資料で確認できたこと

そのため、このページではこうしています

現地確認: 未実施

❓まだ分かっていないこと

この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。

ご存知のことがあれば情報をお寄せください

参考・出典

5件出典に基づいて掲載している

この場所について

この場所について、いま知っていることを教えてください。

あなたの住所には、どんな痕跡が眠っているでしょうか。

あなたの住所の痕跡濃度を測る →

本ページの位置情報・年代・経緯は概略です。掲載内容の確からしさは、ページ内の根拠ラベル(資料確認済み・資料候補・伝承・噂)の区分をご確認ください。 私有地への立ち入りを目的とした利用はご遠慮ください。誤りのご指摘・削除依頼は運営までご連絡ください。