長延寺跡と土居跡(オランダ領事館だった寺は移り、宿場の入口は公園になった)|何があった場所か
横浜市神奈川区、京浜急行の神奈川新町駅の近くに神奈川通東公園がある。横浜市神奈川区は、ここが神奈川宿歴史の道の終点であり、昭和40年(1965年)に移転するまで、ここに長延寺が建っていたと記す。この寺は、開港当時、オランダ領事館に充てられた。公園のかたわらには、土居と長延寺跡を説明する板が立っている。
このあたりは、神奈川宿への江戸からの入口にあたる。区の資料は、神奈川本陣の石井家に伝わった土居の絵図を載せ、街道の両脇に土盛りがされ、その高さは約2.5メートル、その上には矢来が設けられていたと記す。絵図は神奈川県立公文書館が所蔵する。跡地の公園は面積1,580平方メートル、公開は昭和46年6月5日であると横浜市は記す。
寺のほうは、移った先で続いている。長延寺の年表は、天正10年(1582年)に都筑郡吉田村(いまの港北区新吉田町)で一宇を建てて寺号を受けたこと、安政6年(1859年)の開港に基づいてオランダ領事館が置かれたこと、昭和20年5月29日の横浜大空襲で山門と経蔵を残して堂宇を焼いたこと、昭和31年(1956年)に三保町への遷山事業を始めたことを記す。同じ寺は、384有余年を経て三保の地へ引っ越したのが1966年であるとも記す。

近くの痕跡
- 高札場(掲示が立っていた場所と、復原された場所は別にある)(地の痕跡・約1.1km)
- 神奈川台場跡(海に突き出た扇形と、鍵を借りて見る石垣)(戦の痕跡・約1.3km)
- 神奈川の大井戸(宿場の名水が、屋根と釣瓶をそなえて寺の脇に残る)(水の痕跡・約1.4km)
- 権現山の跡(絵図のなかにだけ高い山がある)(地の痕跡・約1.6km)
時のながれ
- 天正10年(1582年) — 都筑郡吉田村(いまの港北区新吉田町)に一宇が建てられ、寺号 長延寺を受けたと長延寺は記す。
- 安政6年(1859年) — 横浜の開港に基づき、オランダ領事館が長延寺に置かれる。
- 大正12年9月1日(1923年) — 関東大震災で被害を受けたが火災は免れ、本堂と庫裏を罹災者の収容に充てたと長延寺は記す。
- 昭和20年5月29日(1945年) — 横浜大空襲で、山門と経蔵を残して堂宇を焼失する。
- 昭和31年(1956年) — 三保町への遷山事業が始まると長延寺は記す。
- 昭和40年(1965年) — この年に移転するまで、ここに長延寺が建っていたと横浜市神奈川区は記す。長延寺の挨拶文は、三保の地へ引っ越したのが1966年であるとする。
- 昭和46年6月5日(1971年) — 跡地に神奈川通東公園が公開される。面積は1,580平方メートルと横浜市は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市神奈川区の神奈川宿歴史の道のパンフレット説明4は、京浜急行の神奈川新町駅の近くにある神奈川通東公園が、神奈川宿歴史の道の終点であるとする。
- 同じパンフレットは、昭和40年(1965年)に移転するまで、ここに長延寺が建っていたとし、この寺が開港当時にオランダ領事館へ充てられたと記す。
- 同じパンフレットは、このあたりが神奈川宿への江戸からの入口にあたるとし、神奈川本陣の石井家に伝わった土居の絵図を載せて、街道の両脇に土盛りがされ、その高さが約2.5メートルで、その上に矢来が設けられていたと記す。絵図は神奈川県立公文書館の所蔵である。
- 長延寺の年表は、天正10年(1582年)に都筑郡吉田村(いまの港北区新吉田町)で一宇を建て、寺号 長延寺と法名 玄栄を受けて開基となったと記す。
- 同じ年表は、安政6年(1859年)に神奈川条約による横浜の開港に基づいて、オランダ領事館が当寺に置かれたと記す。
- 同じ年表は、大正12年9月1日の関東大震災では火災を免れ、本堂と庫裏を罹災者の収容に充てたとし、昭和20年5月29日の横浜大空襲では山門と経蔵を残して堂宇を焼失したと記す。
- 同じ年表は、昭和31年(1956年)に三保町への遷山事業を始めたとし、同じ寺の挨拶文は、384有余年を経て三保の地へ引っ越したのが1966年であるとする。
- 横浜市の都市公園の一覧は、神奈川通東公園を神奈川区の街区公園とし、所在地を新町16、面積を1,580平方メートル、公開年月日を昭和46年6月5日、公園番号を0193とする。
そのため、このページではこうしています
- 座標は公園のかたわらに立つ解説板である。寺の伽藍や土居がどこまで広がっていたかを示す資料には行き当たらなかったため、範囲は置いていない。
- 移転の年は二通りの書き方があるため、片方に寄せず、市の年と寺の年の両方を残した。
- 公園は近所の子どもが遊ぶ場所である。見学のさいは遊具や利用者の妨げにならないようにしたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 土居がいつ築かれ、いつ失われたのかを示す資料には到達できなかった。
- 長延寺が吉田村から神奈川宿へ移った時期を示す資料には到達できなかった。寺の年表は、寛永8年(1631年)の再建までを同じ地とし、そのあと神奈川での出来事へ移る。
- 公園に石碑が立つかどうかを、市または寺の資料で確かめられなかった。
- 寺が移った年が資料で違う。横浜市神奈川区は、昭和40年(1965年)に移転するまでここに建っていたとする。長延寺の年表は、昭和31年(1956年)に遷山事業を始め、昭和42年(1967年)に遷山完遂の法要を営んだとし、同じ寺の挨拶文は三保の地へ引っ越したのが1966年であるとする。
- 寺の年表そのものにも和暦と西暦のずれがある。昭和41年10月10日の本堂落慶法要に1967年が添えられているが、昭和41年は1966年にあたる。
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 神奈川宿歴史の道
横浜市神奈川区 - 神奈川宿歴史の道 パンフレット 説明4(熊野神社・東光寺・金蔵院・能満寺・神明宮・良泉寺・長延寺跡と土居跡)
横浜市神奈川区 - 長延寺のあゆみ
命帰山 長延寺 - 横浜市の公園一覧表(令和8年3月31日現在)神奈川区(エクセル)
横浜市みどり環境局公園緑地部公園緑地管理課
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :要約の「土盛りも矢来も、いまは残っていない」を削った。資料は、かつて土盛りと矢来があったことを記すだけで、いまの有無は書いていないため。
- :公園の面積と公開年月日の出典を、横浜市の公園一覧表(神奈川区)のファイルそのものに直した。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。