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旧灯台寮護岸(灯台の役所の名を持つ岸に、明治の石積みが積み直された)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-21

横浜市中区北仲通六丁目、大岡川の河口に近い水際に、旧灯台寮護岸と呼ばれる石積みが残っている。横浜市の認定歴史的建造物の一つで、市の資料は構造を石積護岸とし、布積護岸を明治6年(1873年)の築造(推定)で延長17.0メートル、谷積護岸を明治30年(1897年)の築造で延長59.7メートルとする。認定は平成20年度で、同じ資料は、北仲通北地区の区画整理事業により復元工事が行われたと記す。

灯台寮は、明治のはじめに西洋式の灯台を建て、保つために置かれた役所である。海上保安庁の資料は、明治7年(1874年)3月18日に明治天皇と皇后が横浜にあった工部省灯台寮を訪れ、竣工したばかりの試験灯台を視察したと記し、灯台寮を海上保安庁交通部の前身とする。同じ資料の年表は、1866年(慶応2年)にイギリス・フランス・オランダ・アメリカとのあいだで結ばれた江戸条約で江戸幕府が外航船の安全確保のため灯台の設置を約束したこと、1869年(明治2年)にフランス人技師ヴェルニーの指導により観音埼へわが国初の西洋式灯台が設置されたこと、1870年から1877年(明治3年から10年)にかけてイギリスの技術者ブラントンにより30基の灯台が建設され、わが国の灯台創成期の基礎がつくられたことを示す。

この護岸は一続きではなく、布積護岸と谷積護岸という別の名を持つ二つの部分からなり、築造年には二十四年の開きがある。古いほうが延長17.0メートル、新しいほうが59.7メートルである。灯台寮という役所の名は、いまこの石積みの名に残っている。海上保安庁の資料が載せる連絡先の一覧によれば、第三管区海上保安本部の住所は、いまも横浜市中区北仲通である。

護岸は北仲通北地区の水際線に面しており、川べりの通路から眺められる。通路は人が行き来する場所なので、縁に身を乗り出さず、流れをふさがないところから見たい。なお、横浜市の資料が示すのは、この護岸が区画整理事業により復元工事を受けたという事実までである。

旧灯台寮護岸(灯台の役所の名を持つ岸に、明治の石積みが積み直された)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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