旧灯台寮護岸(灯台の役所の名を持つ岸に、明治の石積みが積み直された)|何があった場所か
横浜市中区北仲通六丁目、大岡川の河口に近い水際に、旧灯台寮護岸と呼ばれる石積みが残っている。横浜市の認定歴史的建造物の一つで、市の資料は構造を石積護岸とし、布積護岸を明治6年(1873年)の築造(推定)で延長17.0メートル、谷積護岸を明治30年(1897年)の築造で延長59.7メートルとする。認定は平成20年度で、同じ資料は、北仲通北地区の区画整理事業により復元工事が行われたと記す。
灯台寮は、明治のはじめに西洋式の灯台を建て、保つために置かれた役所である。海上保安庁の資料は、明治7年(1874年)3月18日に明治天皇と皇后が横浜にあった工部省灯台寮を訪れ、竣工したばかりの試験灯台を視察したと記し、灯台寮を海上保安庁交通部の前身とする。同じ資料の年表は、1866年(慶応2年)にイギリス・フランス・オランダ・アメリカとのあいだで結ばれた江戸条約で江戸幕府が外航船の安全確保のため灯台の設置を約束したこと、1869年(明治2年)にフランス人技師ヴェルニーの指導により観音埼へわが国初の西洋式灯台が設置されたこと、1870年から1877年(明治3年から10年)にかけてイギリスの技術者ブラントンにより30基の灯台が建設され、わが国の灯台創成期の基礎がつくられたことを示す。
この護岸は一続きではなく、布積護岸と谷積護岸という別の名を持つ二つの部分からなり、築造年には二十四年の開きがある。古いほうが延長17.0メートル、新しいほうが59.7メートルである。灯台寮という役所の名は、いまこの石積みの名に残っている。海上保安庁の資料が載せる連絡先の一覧によれば、第三管区海上保安本部の住所は、いまも横浜市中区北仲通である。
護岸は北仲通北地区の水際線に面しており、川べりの通路から眺められる。通路は人が行き来する場所なので、縁に身を乗り出さず、流れをふさがないところから見たい。なお、横浜市の資料が示すのは、この護岸が区画整理事業により復元工事を受けたという事実までである。

近くの痕跡
- 旧臨港線護岸(遊歩道の板をはがしたら、臨港鉄道のレールと枕木が現れた)(地の痕跡・約88m)
- 神奈川奉行所跡(開港の年に置かれた役所の跡に、石碑が立つ)(地の痕跡・約689m)
- 派大岡川の跡(関内と関外を分けた川と、その上に重なった高速道路)(水の痕跡・約723m)
- 桜川の跡(桜川新道と、川の名を継いだ桜木町・花咲町)(水の痕跡・約739m)
時のながれ
- 1866年(慶応2年) — 江戸条約により、江戸幕府が外航船の安全確保のため灯台を設けることを約束する。
- 1869年(明治2年) — フランス人技師ヴェルニーの指導で、観音埼にわが国初の西洋式灯台が設置される。
- 1870年〜1877年(明治3年〜10年) — イギリスの技術者ブラントンにより30基の灯台が建設される。
- 1873年(明治6年)ごろ — 布積護岸が築かれる。延長17.0メートル。築造年は推定。
- 1874年(明治7年) — 3月18日、明治天皇と皇后が工部省灯台寮を訪れ、竣工したばかりの試験灯台を視察する。
- 1897年(明治30年) — 谷積護岸が築かれる。延長59.7メートル。
- 平成20年度 — 横浜市認定歴史的建造物に認定される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市都市整備局都市デザイン室の認定歴史的建造物のページは、旧灯台寮護岸の所在地を中区北仲通六丁目、構造を石積護岸とし、布積護岸を明治6年(1873年)の築造(推定)で延長17.0メートル、谷積護岸を明治30年(1897年)の築造で延長59.7メートルとする。
- 同じページは、北仲通北地区の区画整理事業により復元工事が行われたと記す。
- 横浜市認定歴史的建造物の一覧は、旧灯台寮護岸の所在地を中区北仲通、建築年代を明治6(1873)年(推定)と明治30年(1897)年、認定年度を平成20年度とする。
- 海上保安庁が発行した航路標識の歴史と現在をまとめた資料は、明治7年3月18日に明治天皇と皇后が横浜にあった工部省灯台寮を訪れ、竣工したばかりの試験灯台を視察したと記し、灯台寮を海上保安庁交通部の前身とする。視察を記念した行幸啓碑が横浜海上保安部の敷地内にあるとも記す。
- 同じ資料の年表は、1866年(慶応2年)にイギリス・フランス・オランダ・アメリカと結ばれた江戸条約で江戸幕府が外航船の安全確保のため灯台の設置を約束したこと、1869年(明治2年)にフランス人技師ヴェルニーの指導により観音埼へわが国初の西洋式灯台が設置されたこと、1870年から1877年(明治3年から10年)にかけてイギリスの技術者ブラントンにより30基の灯台が建設されわが国の灯台創成期の基礎がつくられたことを示す。
- 同じ資料が載せる連絡先の一覧は、第三管区海上保安本部の住所を神奈川県横浜市中区北仲通とする。
そのため、このページではこうしています
- 座標は、地図データに登録されている布積護岸と谷積護岸の二つの範囲の中間に置いた。二つは川沿いに並んでおり、地点は護岸の全体を指すものである。
- ブラントンが建設した灯台の基数は、海上保安庁の資料が示す30基を採った。
- 明治の年号には、資料が併記している西暦をそのまま添えた。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 灯台寮の建物が中区北仲通のどこに建っていたかを、位置や区画で示す公的な資料には行き当たらなかった。護岸の名が灯台寮に由来することは横浜市が示しているが、建物そのものの位置は別の資料が要る。
- 布積と谷積という二つの積み方がどう違うのかについて、横浜市の資料が示すのは名称までである。
- 明治7年に竣工していた試験灯台が、その後どうなったかを示す資料にも行き当たらなかった。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 旧灯台寮護岸
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 横浜市認定歴史的建造物 一覧
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 海を照らして150年 〜航路標識の歴史と現在〜
海上保安庁交通部
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :見出しの「灯台の役所があった岸」を「灯台の役所の名を持つ岸」に改めた。灯台寮の建物がどこに建っていたかは、資料で確かめられていないため。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市都市整備局企画部都市デザイン室)にそろえた。
この場所について
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