🗺 痕跡マップをひらく
地 地の痕跡 資料確認済み

長者橋(戦争で消えた灯具を、市民の写真から復元した橋)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-20

横浜市中区、日ノ出町駅の東のスクランブル交差点の先で、大岡川に長者橋が架かっている。横浜市道路局橋梁課の「はしのはなし」第十四稿は、長者橋を中区長者町と日ノ出町を結ぶ橋とし、橋長26.0メートル、幅員22.9メートル、竣工を昭和3年(1928年)、橋種を上路式コンクリートアーチ橋と記す。同じ資料は、市内に大正12年(1923年)の関東大震災の復興橋梁として178橋が架けられ、長者橋はいま残る40橋のうちの1橋だとする。横浜市の認定歴史的建造物の一覧は、長者橋の所在地を中区日ノ出町・中区長者町、建築年代を昭和3年、認定年度を令和3年度とする。

同じ第十四稿は、江戸時代初期の吉田新田の開墾にともない、新田の埋立地へ行き来するための橋がいまの長者橋の位置に架けられたとし、明治7年(1874年)に架け替えられた木橋が、いまの地名でもある長者町の名をとって長者橋と名づけられたといわれる、と記す。関東大震災ではほかの多くの橋と同じく長者橋も被災して焼失し、復興事業の一環として、昭和3年に国の施工でいまの橋へ架け替えられた。同じ資料は、この時期の震災復興橋梁は応急的で簡素な形の橋が多かったとし、それだけ意匠にこだわっているのは、当時からこの路線が市民にとって重要だったことがうかがえる、とする。

残っている形のほうが、消えたものを教えてくれることがある。同じ資料は、震災復興橋梁の特徴である大きな親柱と灯具について、戦時中に国の主導で行われた金属の供出の対象となり、長者橋の灯具も姿を消したと記す。昭和50年代後半、横浜の都市景観を復元する取り組みが高まったとき、長者橋には横浜復興誌にも親柱の意匠図が残っていなかったが、地元の市民から開通式当時の写真の提供を受け、それをもとに灯具の復元が実現したという。同じ資料はその灯具を、刃をかたどった高さ3メートルの親柱の灯具と説明する。

橋の袂には公衆トイレがある。これも震災復興の名残で、同じ資料は、災害時の応急対応と治安維持の観点から橋詰広場の活用が見直され、復興事業では橋詰広場に共同便所・巡査派出所・材料置場・散水施設・機具納庫を設けるよう定められていた、と記す。トイレの中には、認定を記念して長者橋の成り立ちや昔の写真が掲示されているという。車も歩行者も多い交通の要衝なので、車道に出ず、歩道から眺めたい。

長者橋(戦争で消えた灯具を、市民の写真から復元した橋)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

近くの痕跡

横浜市中区 の痕跡一覧を見る →

この周辺の痕跡 40件を地図でたどる →

時のながれ

編集部の調査メモ

このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。

資料で確認できたこと

そのため、このページではこうしています

現地確認: 未実施

❓まだ分かっていないこと

この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。

ご存知のことがあれば情報をお寄せください

参考・出典

4件出典に基づいて掲載している

訂正履歴

公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。

この場所について

この場所について、いま知っていることを教えてください。

あなたの住所には、どんな痕跡が眠っているでしょうか。

あなたの住所の痕跡濃度を測る →

本ページの位置情報・年代・経緯は概略です。掲載内容の確からしさは、ページ内の根拠ラベル(資料確認済み・資料候補・伝承・噂)の区分をご確認ください。 私有地への立ち入りを目的とした利用はご遠慮ください。誤りのご指摘・削除依頼は運営までご連絡ください。