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戦 戦の痕跡 資料確認済み

平和祈念碑(横浜大空襲と同じ5月29日に、大通り公園へ建てられた)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

大通り公園は、吉田川を埋め立てた幅30から40メートル、長さ1200メートルの細長い公園である、と横浜市は記す。その阪東橋駅に近い側に平和祈念碑が立つ。総務省の追悼施設の一覧は、所在を大通り公園内の横浜市中区弥生町4付近、建立者を横浜戦災遺族会、建立年を平成4年5月29日とする。昭和20年(1945)5月29日の空襲から47年後の、同じ日付である。

横浜市は、この日未明にB29編隊517機がマリアナ基地を発進し、午前9時20分ころ横浜上空に達して、10時半ころまでの約1時間で、総数43万8,576個(2,569.6トン)の焼夷弾を投下したと記す。同じ資料は、M69と呼ばれる集束焼夷弾により、中区・南区・西区・神奈川区を中心に市街地が猛火につつまれたと続ける。市が載せる空襲被害状況図の解説は、米軍が5つの目標地点を設定したとし、第1を東神奈川駅周辺、第2を平沼橋、第3を市役所近くの港橋、第4を本牧・大鳥国民学校(現・大鳥小学校)、第5を吉野橋と挙げる。碑の立つ場所から、いま中村川に架かる同じ名の吉野橋までは、西南西へ約1キロメートルである。

被害の数は資料によって違う。横浜市は「直後の公式発表によれば」と断ったうえで、死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人、罹災者311,218人とする。同じ市のページが載せる『神奈川県警察史』(中巻)の表は、5月29日の欄を9時15分から10時50分とし、焼夷弾を257,205、死者を3,787人、罹災者を313,144人と記して、備考に「旧横浜市全域ほとんど焼失」と書く。碑文はこの日の犠牲を「万余の犠牲者」と刻む。

碑の内部には銘板が納められている。横浜市中区は令和7年の記者発表で、これを「横浜大空襲での一部の犠牲者の氏名が刻まれた銘板」と記す。中区役所の「よこはま中区の歴史を碑もとく絵地図」も、この碑を阪東橋駅から徒歩1分と案内する。公園は横断する道路のどこからでも入れると市は記す。碑の外観はいつでも見られる。内部の公開や催しの日取りは年によって変わる。公園を管理するみどり環境局南部公園緑地事務所の案内で確かめたい。慰霊の場である。静かに歩きたい。

平和祈念碑(横浜大空襲と同じ5月29日に、大通り公園へ建てられた)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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