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洲崎大神(まっすぐ南を向く参道と、その先にあった舟着き場)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

横浜市神奈川区青木町、旧東海道の宮前商店街に面して洲崎大神がある。横浜市神奈川区の神奈川宿歴史の道の案内は、宮前商店街をさらに進むと洲崎大神に出るとし、源頼朝が、安房国の安房神社の神をこの地に招いたのが、洲崎大神の始まりといいます、と記す。同じ案内は、昔この神社にあった御神木のアハキがなまり、青木町の町名になったといわれている、とも記す。

目を引くのは参道の向きである。社殿の前から南へ、参道はまっすぐ伸びて旧東海道を横切り、そのまま第一京浜に突き当たる。地図の座標から計算すると、この軸はほぼ真南を指し、真南から西へ約1度ずれる。社殿の前から第一京浜までは約150メートル、旧東海道からは約87メートルである。区の案内は、神社前の道を海側へ、第一京浜に出るあたりが舟着き場でした、と記す。区のもう一つの案内は、江戸時代には港湾都市としても繁栄し、洲崎大神の前あたりは海で、その沖の海面に弁才船が泊まり、そこから小さい船で荷物を陸に運んで、神奈川湊にある廻船問屋の蔵に荷物を収めていた、と記す。

海が遠ざかった経緯も区の資料にある。区の歴史年表は、安政6年(1859年)に神奈川が開港し、神奈川と洲干のあいだの通船が始まったと記す。区の案内は、高島嘉右衛門が明治の初めに、野毛浦石崎から神奈川停車場まで、長さ約1.4キロメートル、幅65メートルにわたって海面を埋め立てて鉄道用の土手をつくったと記す。同じ年表によれば、高島町の埋立が完成したのは明治4年(1871年)、新橋と横浜のあいだに鉄道が開業したのはその翌年である。

いま参道の先にあるのは、車の絶えない第一京浜である。区の案内は、『江戸名所図会』に描かれた雰囲気は今も石鳥居や周囲の地形などに残っていると記し、かつて六月のお祭りには、みこしを神社前の海にかつぎ入れ、安房神社の神と対面させるお浜下りという神事が行われたと記す。創建の年を示す記述は区の資料に見あたらない。洲崎という名が砂州に由来するという記述も、区や市の資料では確認できなかった。参道は生活の道でもある。通行の妨げにならないように歩き、境内では参拝の作法に従いたい。

洲崎大神(まっすぐ南を向く参道と、その先にあった舟着き場)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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