神奈川の大井戸(宿場の名水が、屋根と釣瓶をそなえて寺の脇に残る)|何があった場所か
横浜市神奈川区幸ケ谷、旧東海道の神奈川宿にあたる一角に「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸がある。横浜市教育委員会の指定・登録文化財目録は、これを横浜市の登録地域文化財のうちの史跡に挙げ、登録を平成5年(1993)11月1日、所有者等を宗興寺、所在地を神奈川区と記す。神奈川区の散策資料「神奈川宿歴史の道」は、宗興寺の境内のすぐ脇にこの井戸があるとし、徳川将軍や明治天皇の通行の際にその水が使われたといわれる、と記す。
横浜市が昭和8年(1933)に刊行した『横浜市史稿 佛寺編』は、宗興寺の項の雑載に、俗に神奈川の大井戸と呼ばれ寺域内にある、昔は徳川二代将軍上洛の時に当地に休泊して茶の湯の料に用い、近くは明治天皇御東幸の砌、御用水に指定せられた名水である、と書く。区の同じ資料は続けて、水の量が増えると翌日の天気がよくなるといわれ、街道を通る旅人には「お天気井戸」とも呼ばれていた、と伝える。
区の資料に載る写真では、石を積んだ台の上に四本柱の木造の覆屋が掛けられ、その下に滑車と釣瓶が下がる。傍らには「横浜市地域史跡 神奈川の大井戸」と刻んだ石柱と、絵図を添えた説明板が立つ。横浜市立図書館の神奈川区デジタルライブラリーは、昭和50年(1975)ごろの写真二枚を収め、町名を幸ケ谷と記す。タウンニュース神奈川区版は令和3年(2021)に、名水が今なお湧き出る井戸のある寺として宗興寺を紹介した。
横浜市水道局は、開港後の横浜では海を埋め立てて広がったためほとんどの井戸水が塩分を含み、明治20年(1887)10月に日本初の近代水道の給水が始まったと記す。同じ「神奈川宿歴史の道」の道すじには、台町の坂、権現山の跡である幸ケ谷公園、神奈川台場跡がある。井戸は宗興寺の所有で、市の文化財目録は、公的機関が所蔵するもの以外は原則として非公開であるから見学にあたっては所有者の意向に充分配慮してほしい、と断っている。見るときは寺の敷地であることを踏まえ、参拝の作法に従い、通行や寺の行事の妨げにならないようにしたい。水が飲めるかどうかを記した公的な資料には到達できなかった。位置は概略である。

近くの痕跡
- 洲崎大神(まっすぐ南を向く参道と、その先にあった舟着き場)(地の痕跡・約224m)
- 権現山の跡(絵図のなかにだけ高い山がある)(地の痕跡・約235m)
- 高札場(掲示が立っていた場所と、復原された場所は別にある)(地の痕跡・約308m)
- 神奈川台場跡(海に突き出た扇形と、鍵を借りて見る石垣)(戦の痕跡・約338m)
時のながれ
- 慶長6年(1601) — 東海道の宿駅伝馬の制が定められ、神奈川宿が置かれる
- 江戸時代初め — 徳川二代将軍が上洛の時に当地へ休泊し、茶の湯にこの水を用いたと『横浜市史稿 佛寺編』は記す
- 元和8年(1622) — 御殿町に神奈川御殿が造営されたと神奈川区の歴史年表は記す。明暦元年(1655)に破却されたという
- 明治時代 — 明治天皇御東幸の砌、この水が御用水に指定せられた名水であると『横浜市史稿 佛寺編』は記す
- 明治20年(1887) — 横浜で日本初の近代水道の給水が始まる
- 昭和8年(1933) — 『横浜市史稿 佛寺編』が、俗に神奈川の大井戸と呼ばれ寺域内にあると記す
- 昭和50年(1975)ごろ — 手押しポンプの立つ姿と、小屋掛けと説明板の立つ姿が写真に残る
- 平成5年(1993) — 11月1日、横浜市の登録地域文化財の史跡になる
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市教育委員会事務局生涯学習文化財課の『国・神奈川県および横浜市 指定・登録文化財目録』は、神奈川の大井戸を横浜市の登録・地域の史跡名勝天然記念物のうち史跡に挙げ、登録年月日を平成5年11月1日、所有者等を宗興寺、所在地を神奈川区と記す。
- 同じ目録は、掲載した文化財が原則として公的機関の所蔵するもの以外は非公開であり、見学にあたっては所有者の意向に充分配慮するよう求めている。
- 横浜市文化財保護条例第45条は、地域住民が守ってきたもの及び地域を知る上で必要な文化財を、横浜市地域文化財として登録することができると定める。
- 神奈川区の『神奈川宿歴史の道』説明2は、宗興寺の境内のすぐ脇に「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸があり、徳川将軍や明治天皇の通行の際にその水が使われたといわれる、と記す。同じ資料は、水の量が増えると翌日の天気がよくなるといわれ、街道を通る旅人には「お天気井戸」とも呼ばれていた、とも記す。
- 神奈川区の『かながわ歴史亀さんぽ』も同じ由来を載せ、地図の上でこの井戸に25番を振っている。
- 横浜市『横浜市史稿 佛寺編』五六一頁の宗興寺の雑載は、井について、俗に神奈川の大井戸と呼ばれ寺域内にある、昔は徳川二代将軍上洛の時に当地に休泊して茶の湯の料に用い、近くは明治天皇御東幸の砌、御用水に指定せられた名水である、と記す。
- 『神奈川宿歴史の道』説明2に載る現在の写真には、石積みの台の上に立つ四本柱の木造の覆屋、そこから下がる滑車と釣瓶、「横浜市地域史跡 神奈川の大井戸」と刻んだ石柱、絵図を添えた説明板が写る。
- 横浜市立図書館の神奈川区デジタルライブラリーは、神奈川の大井戸の写真二枚を収め、町名をいずれも幸ケ谷、撮影時期を一枚目は昭和50年、二枚目は昭和50年頃と記す。一枚目には手押しポンプと石柱が、二枚目には小屋掛けと説明板が写る。
- タウンニュース神奈川区版の令和3年3月4日の記事は、二代将軍徳川秀忠が休泊した際に茶の湯として用いられ、明治天皇御東幸では御用水に指定された名水が今なお湧き出る井戸「神奈川の大井戸」のある寺として宗興寺を紹介し、住所を神奈川区幸ケ谷10の6と記す。
- 横浜市水道局は、開港後の横浜が海を埋め立てて拡張してきたためほとんどの井戸水は塩分を含んで飲み水に適さず、明治20年10月に日本初の近代水道として給水を開始したと記す。
- 神奈川区の歴史年表は、元和8年に御殿町へ神奈川御殿が造営されたといい、明暦元年に破却されたという、と記す。
- 神奈川区は、宗興寺について、開港当時にアメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士がここに施療所を開いており、これを記念する石碑が境内に立つと記す。
そのため、このページではこうしています
- 座標は宗興寺の北側、井戸と石柱の立つあたりを採り、小数第4位に丸めた。宗興寺の本堂の位置とは20メートルほど離れている。
- 町名は、横浜市立図書館の神奈川区デジタルライブラリーとタウンニュース神奈川区版の記事が一致する幸ケ谷を採った。
- 水を使った人については、神奈川区の資料と『横浜市史稿 佛寺編』の両方の書き方を並べて載せた。
- 見るときは寺の敷地であることを踏まえ、参拝の作法に従うこと。井桁の中をのぞき込んだり、覆屋や釣瓶に手を触れたりしないこと。
- 水が飲めるかどうかを記した公的な資料に到達できなかったため、水に口をつけないこと。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 井戸の水が飲めるかどうかを記した公的な資料には到達できなかった。
- 井戸を見るために寺の敷地へ立ち入ってよいかどうかを明記した資料には到達できなかった。
- 井戸が掘られた年代と井戸の深さを記した資料には到達できなかった。
- 宗興寺が「大井戸寺」と呼ばれたとする記述を載せた横浜市と神奈川区の公開資料には到達できなかった。
- 大名行列や宿場の人びとがこの水を使ったとする記述を載せた公的な資料には到達できなかった。
- 近代水道が引かれたのち、この井戸の水がどう使われたかを記した資料には到達できなかった。
- 水を使った人の書き方が分かれる。神奈川区の資料は徳川将軍や明治天皇の通行の際とするが、『横浜市史稿 佛寺編』は徳川二代将軍上洛の時の茶の湯と、明治天皇御東幸の砌の御用水とに分けて記す。
- 井戸と寺との位置の書き方が分かれる。神奈川区の資料は宗興寺の境内のすぐ脇とするが、『横浜市史稿 佛寺編』は寺域内にあると記す。
- 水の由緒の確かさの書き方が分かれる。神奈川区の資料は伝聞の形をとるが、『横浜市史稿 佛寺編』とタウンニュース神奈川区版の記事は名水であると言い切る。
参考・出典
11件出典に基づいて掲載している
- 国・神奈川県および横浜市 指定・登録文化財目録(PDF)
横浜市教育委員会事務局生涯学習文化財課 - 神奈川宿歴史の道 説明2(PDF)
横浜市神奈川区 - 神奈川宿歴史の道
横浜市神奈川区 - かながわ歴史亀さんぽ 表面(PDF)
横浜市神奈川区 - 横浜市史稿 佛寺編(宗興寺 五六一頁)
横浜市/国立国会図書館デジタルコレクション - 神奈川区デジタルライブラリー 神奈川の大井戸2
横浜市立神奈川図書館 - 宗興寺(そうこうじ)
横浜市神奈川区 - 横浜水道のあゆみ(概要)
横浜市水道局 - 神奈川区の歴史年表
横浜市神奈川区 - 横浜市文化財保護条例
横浜市 - 【Web限定記事】横浜市・神奈川区内の寺社めぐり はじめよう、御朱印集め(五)宗興寺
タウンニュース社 神奈川区版
この場所について
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