🗺 痕跡マップをひらく
水 水の痕跡 資料確認済み

吉野橋(川の埋め立てなどで、同じ型の橋は二つだけになった)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

横浜市南区、吉野町と宮元町のあいだを中村川が流れ、そこに吉野橋が架かる。横浜市都市整備局都市デザイン室は、この橋を鉄筋コンクリート造ラーメン式橋台、上路式単純鋼板桁橋とし、橋長25.9メートル、幅員21.9メートル、建造年を大正15年(1926)、設計を内務省復興局横浜出張所、施工を清水組と記す。関東大震災の三年後である。平成31年(2019)3月に横浜市認定歴史的建造物となった。橋としては14橋目である。

市の記者発表資料は、この構造をいわゆる「復興型」と呼ばれるものと記す。地質が軟弱な場所で耐震性を持たせるため、短い杭を広く打って橋台の基礎とした。そのぶん橋台には広い用地が要るので、陸の土地を取得しにくい場合には河川の中に橋台を設けた。水を流し船を通すには橋台に空間が必要で、吉野橋のそれはアーチ型である。

震災復興橋梁は、関東大震災で被災した東京と横浜の復興のため国・府・市が施行した事業で建設された橋を指す。同じ資料は、火災で木造の橋梁が焼け落ちて多くの人が逃げ場を失ったことを踏まえ、耐震耐火の構造が目指されたと記す。横浜市には178橋あり、平成31年(2019)の時点で現存は40橋、令和5年(2023)4月1日現在の一覧では37橋である。そのうち「復興型」は、河川の埋め立て等により、吉野橋と西区の新田間橋の二橋だけと橋梁課は記す。

橋が消えた理由が橋の側にあるとは限らない。横浜市道路局河川企画課の資料は、いまの伊勢佐木町のあたりに小松川・派大岡川・吉田川・新吉田川・新富士見川・富士見川・日ノ出川・桜川の八つの川があり、明治5年(1872)から昭和52年(1977)のあいだに埋め立てられて消えたと記す。橋梁課の「はしのはなし」は、そのうち吉田川・新吉田川に架かっていた橋梁は全て廃止されたと記す。その川跡がいまの大通り公園である。中村川は残った。橋台の表面は高欄と親柱まで同じ石張で統一されていると資料は記す。川へ降りないこと、通行の妨げにならないようにすること。位置は概略である。

吉野橋(川の埋め立てなどで、同じ型の橋は二つだけになった)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

近くの痕跡

横浜市南区 の痕跡一覧を見る →

この周辺の痕跡 39件を地図でたどる →

時のながれ

編集部の調査メモ

このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。

資料で確認できたこと

そのため、このページではこうしています

現地確認: 未実施

❓まだ分かっていないこと

この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。

ご存知のことがあれば情報をお寄せください

参考・出典

10件出典に基づいて掲載している

訂正履歴

公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。

この場所について

この場所について、いま知っていることを教えてください。

あなたの住所には、どんな痕跡が眠っているでしょうか。

あなたの住所の痕跡濃度を測る →

本ページの位置情報・年代・経緯は概略です。掲載内容の確からしさは、ページ内の根拠ラベル(資料確認済み・資料候補・伝承・噂)の区分をご確認ください。 私有地への立ち入りを目的とした利用はご遠慮ください。誤りのご指摘・削除依頼は運営までご連絡ください。