西の橋(先代は南区に移り、いまの橋は市電の橋の跡に架かる)|何があった場所か
横浜市中区、山下町と石川町のあいだに鋼のアーチ橋が架かっている。橋の下の水は、この橋を境に名が変わる。神奈川県横浜川崎治水事務所は、中村川を大岡川分派点から久良岐橋を経て西の橋下流端までとし、堀川を西の橋下流端から海までと定める。この水路は自然のものではない。万延元年(1860)、開港場を出島のようにするため、中村川の川尻から海岸までが開削されて堀川となった。同年に谷戸橋と前田橋、翌文久元年(1861)10月に西の橋が架けられた。中区の年表は、このとき関門と番所を建てたと記す。橋梁課は、各橋に関所が設けられたと記す。関内という地名は、この関門の内側という意味から来ている。
明治26年(1893)、西の橋は神奈川県技師の野口嘉茂が設計したプラット・トラスの橋に架け替えられた。大正12年(1923)の関東大震災でこの橋も被災する。橋梁課は、落橋はしなかったものの木でつくられた床材は焼失したようだと記す。廃止されたこの橋の鋼材は、復興事業で中村川の翁橋の架け替えに使われ、さらに高速道路の建設にともなう翁橋の架け替えの際、浦舟人道橋の架け替えに再び使われた。いまの浦舟水道橋である。橋は南区へ移り、名はこの場所に残った。
いま架かる橋は大正15年(1926)11月の竣工で、開通式は同年12月に行われた。設計は内務省復興局、上路式2ヒンジ鋼アーチ、橋長32.8メートル、幅員22.0メートルである。ただし、先代と同じ場所ではない。橋梁課は、プラット・トラスの西の橋が現在の橋より下流側に架かっており、現在の位置には西の橋の市電専用橋が架かっていたと記す。同じ資料は、先代の架かっていた位置がいまも道路の線形から確認できると記す。
平成17年(2005)に横浜市認定歴史的建造物となり、平成27年(2015)には山手隧道・櫻道橋・谷戸橋・打越橋とともに、元町・山手地区の震災復興施設群として土木学会選奨土木遺産に選ばれた。市の資料は、親柱は位置が動いていると思われると記す。ただし、いつどう動いたのかを説明した資料には行き当たらなかった。西の橋という名の由来を示す公的な記述にも到達していない。堀川に架けられた三つの橋のうち、この橋がもっとも上流にある。

近くの痕跡
- 山手隧道(あとから掘られたほうが、第二ではない)(地の痕跡・約360m)
- 桜道橋(山手隧道と同じ石で仕上げ、断たれる道をつないだ橋)(地の痕跡・約518m)
- 谷戸橋(震災の前と後で、架かる筋が変わった橋)(地の痕跡・約600m)
- 旧居留地消防隊地下貯水槽(日本大通の地下に残る煉瓦の水がめ)(水の痕跡・約722m)
時のながれ
- 万延元年(1860) — 居留地を出島とするため、中村川の川尻から海岸までが開削されて堀川となる。同年に谷戸橋と前田橋が架けられる
- 文久元年(1861)10月 — 西の橋が架けられ、関門と番所が置かれる
- 明治26年(1893) — 神奈川県技師の野口嘉茂の設計で、プラット・トラスの橋に架け替えられる。位置は現在の橋より下流側であった
- 大正12年(1923)9月 — 関東大震災。落橋はしなかったが、木でつくられた床材は焼失したとされる
- 大正15年(1926)11月 — いまの鋼アーチ橋が、市電専用橋のあった位置に竣工する。開通式は同年12月
- 昭和2年(1927) — 先代の鋼材が、中村川の翁橋の架け替えに使われる
- 平成元年(1989)12月 — 翁橋の鋼材が、南区の浦舟水道橋として架けられる
- 平成17年(2005)12月 — 横浜市認定歴史的建造物に認定される
- 平成27年(2015) — 元町・山手地区の震災復興施設群として土木学会選奨土木遺産に選ばれる
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市道路局橋梁課が発行する「はしのはなし」第三稿(平成31年1月)は、西の橋を中区の堀川に架かる橋とし、堀川の最上流に架かる橋であると記す。諸元を、橋長32.8メートル、幅員22.0メートル、竣工は大正15年(1926)11月、橋種は2ヒンジソリッドリブアーチ橋と記す。
- 同じ資料は、安政6年(1859)の開港後、幕府が横浜村・横浜新田・太田屋新田を出島化するため1860年に元町沿いに堀川を築造したこと、同年に谷戸橋と前田橋、翌年に西の橋が堀川に架けられ、各橋に関所が設けられたことを記す。嘉永4年(1851)頃の「横濱村並近傍之圖」には堀川がまだ存在しないことも記す。
- 同じ資料は、初めて西の橋が架かったとされる1861年から32年後の明治26年(1893)に、神奈川県の技師であった野口嘉茂が設計したプラット・トラスの橋へ架け替えられたこと、そのプラットトラスの西の橋が現在の橋の位置より下流側に架かっており、現在の位置には西の橋の市電専用橋が架かっていたことを記す。
- 同じ資料は、明治44年(1911)12月25日まで市電の終点が西の橋であったこと、その後の本牧方面への延伸にともない市電専用橋と桜道トンネルが建設されたこと、桜道トンネルが改修工事を経て山手第二隧道に名を変えたことを記す。
- 同じ資料は、大正12年(1923)の関東大震災で西の橋も被災し、落橋はしなかったものの木でつくられた床材は焼失したようだと記す。復興事業で架け替えられた西の橋が市電専用橋のあった位置に架けられたこと、工事はまず市電の仮橋を設けたのち市電専用橋のあったところに新しい西の橋を架けたこと、昭和2年(1927)1月12日撮影の写真にアーチ構造の新橋の奥にトラス構造の旧橋が確認できること、現在の地図にプロットするとプラットトラスの西の橋が架かっていたことを道路の線形から確認できることを記す。
- 同じ資料は、関東大震災で廃止となったプラットトラスの西の橋の鋼材が、復興事業で中村川の翁橋の架替工事に再利用され、さらに高速道路建設にともなう翁橋の架け替えの際、浦舟人道橋(現在の浦舟水道橋)の架替工事に再々利用されたことを記す。翁橋を昭和2年(1927)竣工・昭和61年(1986)12月解体架替、浦舟水道橋を平成元年(1989)12月竣工とする。
- 同じ資料は、横浜市内に大正12年(1923)の関東大震災の復興橋梁として178もの橋が架けられ、西の橋が現存する40橋のうちの1橋であること、中村川・堀川は吉野橋・西の橋・谷戸橋を残してすべて架け替えられたこと、昭和58年(1983)10月頃に橋の上へ高速道路が架かりはじめたことを記す。
- 横浜市道路・交通政策局橋梁課の歴史的建造物の保全のページは、西の橋を中区山下町277地先から石川町2-1地先までの鋼アーチ橋、建築年代を大正15(1926)年、市認定歴史的建造物を平成17(2005)年12月、設計を復興局、施工を不明と記す。山下町地区と元町・石川町地区の結節点に位置する両地区のゲート空間であること、親柱は位置が動いていると思われるがシンボル性の高いデザインであることを記す。
- 横浜市都市整備局都市デザイン室のページは、名称を西之橋、所在地を中区山下町277から石川町2-1、構造・規模を鋼アーチ橋、建築年代を大正15(1926)年、設計を内務省復興局と記す。横浜市認定歴史的建造物の一覧も西之橋の名で載せ、所在地を中区山下町から石川町、建築年を大正15(1926)年、認定年度を平成17年度と記す。
- 神奈川県横浜川崎治水事務所の所管する河川のページは、二級河川大岡川水系の中村川を大岡川分派点から久良岐橋を経て西の橋下流端まで、堀川を西の橋下流端から海までと記す。堀川は全区間が横浜市の管理する港湾区域との重複区間である。
- 横浜市中区のまちづくり方針の資料は、『横浜中区史』を出典として、大岡川の南側に分かれた支流が中村川として山手の丘陵地の裾を流れ、西之橋から下流は堀川と呼ばれ山下橋を経て港内に流れ込むこと、以前は西之橋付近から桜木町方面に向かって流れていた派大岡川が埋め立てられ首都高速神奈川1号横羽線になっていることを記す。
- 横浜市中区役所の中区歴史年表は、『中区史』を参考資料として、開港の翌年に中村川の川尻から海岸までが開削されて堀川が誕生し、居留地が出島のようになり、橋には関門を設けて通行人を厳しく取り締まったこと、関内という地名がこの関門の内側から来ていることを記す。年表は堀川開削と前田橋・谷戸橋架橋を1860年(安政7=万延1)に、西の橋の架橋と関門・番所の建築を1861年(万延2=文久1)10月に、西の橋開通式と元町人道トンネル竣工式を1926年(大正15=昭和1)12月に置く。
- 同じ年表は、1905年(明治38)7月に横浜電気鉄道の大江橋・西の橋間が開通したこと、1913年(大正2)12月に横浜電気鉄道本牧線の西の橋・本牧原間が開通したことを記す。
- 横浜市道路・交通政策局橋梁課の震災復興橋梁のページは、震災復興橋梁が大岡川・中村川・堀川・掘割川などに架けられた橋梁群であること、最大で178橋あり、老朽化に伴う架け替え等により当時の姿のままで現存している橋は37橋であることを記す。同じページが公開する震災復興橋梁一覧(令和5年4月1日現在)は、西の橋を一覧の1番に置き、場所を中区山下町276番地先から中区石川町一丁目1番地先、橋長32.5メートル、幅員22.0メートル、竣功年1926年、施工を国(復興局)と記す。
- 公益社団法人土木学会関東支部のページは、元町・山手地区の震災復興施設群を平成27年度(2015)認定とし、構成を山手隧道・櫻道橋・谷戸橋・西の橋・打越橋の5件と記す。西の橋を大正15年・橋長32.8メートル・幅員22メートル・上路式2ヒンジ鋼アーチ橋とし、設計を内務省復興局、施工を不詳とする。谷戸橋と西の橋について、開港場の整備にあたり開削された堀川に架橋された橋であり、横浜の都市の歴史を振り返った場合に重要な位置にあると記す。西の橋の親柱を、元町への入り口として堂々たる雰囲気の構えと記す。
- 土木学会の選奨土木遺産のページも、元町・山手地区の震災復興施設群を所在地 神奈川県/横浜市中区、竣工年1926(大正15)年から1928(昭和3)年、選奨年2015年 平成27年度と記す。
そのため、このページではこうしています
- 竣工は複数の資料が一致する大正15年(1926)を採った。開通式は中区の年表が置く同年12月にあたる。
- 橋の長さは、橋梁課の「はしのはなし」と土木学会関東支部が一致する32.8メートルを採った。
- 名は、橋梁課が使う西の橋を採った。都市デザイン室と横浜市認定歴史的建造物の一覧は西之橋と書く。
- 座標は橋の中央付近を採った。位置は概略である。
- 橋の上は交通量が多く、川に沿って首都高速道路の高架が架かる。見るときは歩道からとし、車道や川へは立ち入らないこと。通行の妨げにならないようにすること。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 西の橋という名の由来を示した公的な記述には到達できなかった。橋梁課の西の橋ものがたりにも、都市デザイン室のページにも、中区の年表にも由来の説明が見あたらない。
- 市の歴史的建造物の保全のページが記す、親柱は位置が動いていると思われるという記述について、いつどのように動いたのかを説明した資料には到達できなかった。橋梁課が親柱を主題にした「引越した親柱、留まった親柱」の稿と、魅力ある親柱特集の3稿にも、西の橋の親柱は挙がっていない。
- 昭和2年に西の橋の鋼材が使われた翁橋が、中村川のどの位置に架かっていたのかを示す記述には到達できなかった。橋梁課の資料は中村川の翁橋とだけ記す。
- 明治26年の橋が何代目にあたるのかは確定できなかった。橋梁課の資料は、堀川が出来た10年後の拡張工事のタイミングで西の橋は架け替えられたかもしれないと記す。
- 橋梁課の資料は、西の橋がかながわの橋100選にも認定されていると記すが、神奈川県が公開していた同選の西之橋のページは、開くと本文が存在しない。
- 橋の長さが食い違う。橋梁課の「はしのはなし」第三稿と土木学会関東支部の資料は32.8メートルとし、橋梁課の震災復興橋梁一覧は32.5メートルとする。
- 所在地の地番が分かれる。橋梁課の歴史的建造物の保全のページと都市デザイン室は山下町277とし、橋梁課の震災復興橋梁一覧は山下町276番地先とする。
- 橋の名の表記が分かれる。橋梁課は西の橋と書き、都市デザイン室と横浜市認定歴史的建造物の一覧は西之橋と書く。
- 架かっている川の書き方が分かれる。橋梁課と土木学会関東支部は堀川に架かる橋とするが、神奈川県は中村川の下流端を西の橋下流端、堀川の起点を西の橋下流端と定めており、橋は二つの川の境目に架かる。
- 先代の橋の扱いが分かれる。橋梁課の歴史的建造物の保全のページと横浜市認定歴史的建造物の一覧は、浦舟水道橋を明治26年に旧西の橋として架設、昭和2年に旧翁橋として移設、平成元年に再移設と、橋そのものが移された書き方をする。一方、橋梁課の「はしのはなし」第一稿と第三稿は、鋼材が翁橋の架替工事に再利用され、さらに浦舟人道橋の架替工事に再々利用されたと、材の転用として書く。
- 現存する震災復興橋梁の数が食い違う。平成31年の「はしのはなし」第三稿は現存40橋とし、令和5年時点の震災復興橋梁のページは37橋とする。時点の違いによるものと考えられる。
- 橋に置かれた施設の呼び方が分かれる。橋梁課の「はしのはなし」第三稿は各橋に関所が設けられたと記し、中区役所の中区歴史年表は西の橋の架橋とあわせて関門・番所を建築したと記す。
参考・出典
12件出典に基づいて掲載している
- はしのはなし 第三稿 西の橋ものがたり(VOL.3 平成31年1月)
横浜市道路局橋梁課 - はしのはなし
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 歴史的建造物の保全(歴史的建造物に認定された橋およびトンネル)
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 西之橋(歴史を生かしたまちづくり)
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 横浜市認定歴史的建造物 一覧
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 震災復興橋梁
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 震災復興橋梁一覧(令和5年4月1日現在)
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 横浜川崎治水事務所の所管する河川
神奈川県横浜川崎治水事務所 - 中区まちづくり方針 第1章 まちづくりの現状と今後の目標
横浜市中区 - 中区歴史年表
横浜市中区役所 - 土木遺産 元町・山手地区の震災復興施設群
公益社団法人 土木学会 関東支部 - 元町・山手地区の震災復興施設群(選奨土木遺産)
公益社団法人 土木学会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課)にそろえた。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市都市整備局企画部都市デザイン室)にそろえた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。