霞橋(半分の長さになって、三つ目の名で運河に架かる)|何があった場所か
中区新山下の新山下運河に、三角形に鉄を組んだトラスの橋が架かっている。横浜市道路局橋梁課と中土木事務所が平成26年(2014)に出した記者発表資料は、構造形式を下路式プラットトラス橋、橋長を32.96メートル、幅員を6.0メートルと記す。同じ資料は橋歴を三段に分けて書く。隅田川橋梁が明治29年(1896)から、江ヶ崎跨線橋が昭和4年(1929)から、霞橋が平成25年(2013)3月21日の開通から。
横浜市都市整備局都市デザイン室は、この橋を霞橋(旧江ヶ崎跨線橋)の名で載せ、明治29年に日本鉄道土浦線、いまの常磐線の隅田川橋梁として架けられ、昭和4年に新鶴見操車場へ移され、平成25年に霞橋として再移設されたと記す。設計はイギリスのHandy side社、施工は日本鉄道とされる。市の老朽橋の架け替えのページは、江ヶ崎跨線橋を、操車場の建設で分断された地域をつなぐため旧国鉄が鉄道橋を転用したトラス橋と記す。同じページによれば、新山下の先代の霞橋も鋼製橋脚に広い範囲の腐食が見つかって架け替えとなり、そこへ江ヶ崎跨線橋のプラットトラスが移された。どちらの架け替えも平成25年3月の竣工である。
記者発表資料は、格点部のコッターピンや対傾構といった意匠を活かし、建設当時の支承も再利用したと記す。コッターピンは部材をつなぎ留めるくさび、支承は橋の重さを受ける部品を指す。橋梁課のページは、英国式から米国式への過渡期にあたる最後の英国式トラスとして貴重であると記す。平成25年11月8日に横浜市認定歴史的建造物となり、平成25年度の土木学会田中賞(作品部門)を受けた。同じ資料は、橋長32.96メートルのこの橋が田中賞史上もっとも短い橋になったと記す。
渡っている先は運河である。昭和32年(1957)の横浜市告示第31号は、新山下運河の幅員を30.0メートル、延長を1,070メートルと定める。南区の浦舟水道橋も、明治26年(1893)に西の橋として架けられた鉄橋が二度移されて現在地にある。橋は市道として渡れる。運河に降りないこと、車が通るので通行の妨げにならないようにすること。位置は概略である。

近くの痕跡
- 谷戸橋(震災の前と後で、架かる筋が変わった橋)(地の痕跡・約517m)
- 西の橋(先代は南区に移り、いまの橋は市電の橋の跡に架かる)(水の痕跡・約1.1km)
- 山手隧道(あとから掘られたほうが、第二ではない)(地の痕跡・約1.2km)
- 桜道橋(山手隧道と同じ石で仕上げ、断たれる道をつないだ橋)(地の痕跡・約1.2km)
時のながれ
- 明治29年(1896) — 日本鉄道土浦線、いまの常磐線の隅田川橋梁として架けられる。横浜市の資料は、当初の製作と設計をイギリスのHandy side社、施工を日本鉄道と記す。
- 昭和4年(1929) — 新鶴見操車場の建設にともない、プラットトラス部が移設される。横浜市の資料は、旧国鉄が鉄道橋を転用し、地域の分断を解消するため江ヶ崎跨線橋として築造したと記す。
- 昭和59年(1984) — 新鶴見操車場が廃止される。建設コンサルタンツ協会の会誌は、その後も江ヶ崎跨線橋の利用が続いたと記す。
- 平成21年(2009) — 同じ会誌は、平成17年(2005)に架け替え事業が決まり、この年に旧江ヶ崎跨線橋が撤去されたと記す。
- 平成25年(2013)3月21日 — 中区新山下の霞橋として開通する。横浜市の資料は、先代の霞橋の鋼製橋脚に広い範囲の著しい腐食が確認されたための架け替えであり、江ヶ崎跨線橋のプラットトラスを移設・再利用したと記す。
- 平成25年(2013)11月8日 — 横浜市認定歴史的建造物になる。認定年度は平成25年度にあたる。
- 平成26年(2014)6月13日 — 土木学会の定時総会で、平成25年度田中賞(作品部門)の受賞が公表される。横浜市の記者発表資料は、橋長32.96メートルのこの橋が田中賞史上もっとも短い橋になったと記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市道路局橋梁課と中区中土木事務所が平成26年6月19日に出した記者発表資料は、霞橋の所在地を中区新山下1丁目、構造形式を下路式プラットトラス橋、橋長を32.96メートル、幅員を6.0メートル(歩道2.0メートル、車道4.0メートル)と記す。
- 同じ資料は橋歴を、隅田川橋梁が1896(明治29)年から、江ヶ崎跨線橋が1929(昭和4)年から、霞橋が2013(平成25)年3月21日の開通からと三段に分けて記す。あわせて、霞橋に使われているプラットトラスが1896年にイギリスで製作され、日本鉄道土浦線(現常磐線)隅田川橋梁として誕生したと記す。
- 同じ資料は、格点部のコッターピンや対傾構などの意匠を活かすとともに、建設当時の支承も再利用したと記す。
- 同じ資料は、横浜市歴史的建造物の認定を平成25(2013)年11月8日、設計者を株式会社オリエンタルコンサルタンツ、施工者を株式会社北日本機械・土志田建設株式会社・中鉢建設株式会社・日本鋳造株式会社、事業者および施設管理者を横浜市道路局橋梁課と中土木事務所と記す。
- 同じ資料は、平成26年6月13日の平成26年度土木学会定時総会で霞橋が平成25年度田中賞(作品部門)を受賞したこと、作品部門は昭和41年の創設以来のべ227橋が受賞していること、橋長32.96メートルの霞橋が田中賞史上もっとも小さい(短い)橋になったこと、横浜市道路局では初めての受賞であることを記す。
- 横浜市都市整備局都市デザイン室のページは、名称を霞橋(旧江ヶ崎跨線橋)、所在地を中区新山下1丁目、構造・規模を下路式プラットトラス橋とし、建築年代を明治29(1896)年に日本鉄道土浦線隅田川橋梁として架橋、昭和4(1929)年に新鶴見操車場に移設、平成25(2013)年に霞橋として再移設と記す。設計をHandy side社、施工を日本鉄道とし、いずれも旧隅田川橋梁についてのものと注記する。
- 横浜市道路・交通政策局橋梁課の歴史的建造物の保全のページは、霞橋の所在を中区新山下一丁目17-1番地先から15-1番地先までとし、当初製作をHandy side社、再移設の設計を横浜市と株式会社オリエンタルコンサルタンツ、上部工の施工を北日本機械株式会社と日本鋳造株式会社、下部工と取付道路の施工を土志田建設株式会社と中鉢建設株式会社と記す。
- 同じページは、明治29(1896)年に隅田川橋梁として架橋され、その後昭和4(1929)年に新鶴見操車場に移設、さらに解体、移築され、平成25年3月21日に現霞橋として生まれ変わったとし、英国式から米国式への過渡期にあたる橋梁でその最後になる英国式トラスとして貴重であること、建設当時の特徴のある姿に配慮し当初部材を極力再利用していることを記す。
- 横浜市認定歴史的建造物の一覧は、霞橋(旧江ヶ崎跨線橋)を中区新山下に所在するものとし、明治29(1896)年架設、昭和4(1929)年移設、平成25(2013)年移設、認定を平成25年度と記す。同じ一覧には、西区霞ヶ丘から南区三春台に所在する昭和3(1928)年の霞橋が平成16年度の認定として別の行に載る。
- 横浜市の老朽橋の架け替えのページは、江ヶ崎跨線橋(鶴見区)を昭和4年に新鶴見操車場建設に伴う地域分断解消のため旧国鉄が鉄道橋を転用し築造したトラス橋とし、再架設から約80年、鉄道橋としての供用を含めると110年以上が経過していたこと、幅員も5.5メートルと狭かったことから架け替えたと記す。
- 同じページは、霞橋(中区)について、鋼製橋脚の詳細な調査で広い範囲に著しい腐食が確認されたことから架け替えを行い、その際に土木遺産として歴史的価値が高い江ヶ崎跨線橋のプラットトラスを移設・再利用したと記す。江ヶ崎跨線橋と霞橋はいずれも平成25年3月竣工とする。
- 昭和32年3月30日の横浜市告示第31号は、新山下運河を港湾法第2条第5項第4号の規定による横浜港港湾区域内の運河とし、区域を中区新山下町1丁目2番地先河口から同3丁目6番地先河口までの間、幅員を30.0メートル、延長を1,070メートルと定める。
- 建設コンサルタンツ協会の会誌298号(2023年1月)は、旧隅田川橋梁が複線軌道のプラットトラス約61メートル(200フィート)の2連と鈑桁約18メートル(60フィート)の19連で構成されていたこと、複線式のプラットトラスの建設が日本で初めてであったため外国企業に設計が公募され、競争の結果イギリスのHandy side社製のものが採用されたことを記す。
- 同じ会誌は、昭和4年の移設にあたりプラットトラス2連部分が明治28(1895)年竣工の東北本線荒川橋梁の約30.5メートル(100フィート)ポニートラス1連および鈑桁1連と組み合わされたこと、新鶴見操車場が1984(昭和59)年に廃止された後も利用が続き、2005(平成17)年に架け替え事業が決定して2009(平成21)年に撤去されたことを記す。
- 同じ会誌は、トラスの長さを半分にするため弦材の途中をガス切断してつなぎ合わせたこと、リベット結合は熟練工の引退などにより使えずボルト結合を採用したこと、橋を渡る人から見える部分にはボルトの頭が見えるようデザインの工夫が施されたことを記す。
- 同じ会誌は、撤去が決まった旧江ヶ崎跨線橋について早稲田大学の佐々木葉教授が横浜市に保全と活用を求める手紙を送り、日本大学の伊東孝と五十畑弘が加わって、土木学会を通じて保存活用要望書がJR、川崎市、横浜市宛に提出されたことを記す。
- 土木学会選奨土木遺産の神奈川県の一覧には、霞橋も江ヶ崎跨線橋も載っていない。同じ一覧に載る神奈川県内のものは、堀割川、横浜水道に関わる隧道(東隧道・大原隧道)、響橋、元町・山手地区の震災復興施設群、小倉橋、箱根登山鉄道などである。
そのため、このページではこうしています
- 横浜市内には霞橋が二つある。ここで扱うのは中区新山下一丁目の下路式プラットトラス橋で、西区霞ヶ丘から南区三春台に架かる昭和3年(1928)の鉄筋コンクリートアーチ橋は別の橋にあたる。認定年度も平成25年度と平成16年度で分かれる。
- 座標は、橋の両端の緯度経度から計算した長さが33メートルとなり、横浜市の記者発表資料が記す橋長32.96メートルと合うことを確かめたうえで、橋の中央を採り小数第4位に丸めた。
- 年代の表記は横浜市の資料に合わせた。明治29年(1896)は隅田川橋梁として架けられた年であって、いまの場所に据えられた年ではない。
- 南区の浦舟水道橋も、明治26年(1893)に西の橋として架けられた鉄橋が二度移されて現在地にある。横浜市の資料は浦舟水道橋をピン結合プラットトラス橋、霞橋を下路式プラットトラス橋と記し、部材のつなぎ方が異なる。
- 橋は市道として通行できる。運河に降りないこと、車道を車が通るので通行の妨げにならないようにすること。位置は概略である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 明治29年の隅田川橋梁が隅田川のどの地点に架かっていたのかを示す資料には到達できなかった。日本鉄道土浦線、いまの常磐線の橋であることまでは横浜市の資料で確認できる。
- 建設コンサルタンツ協会の会誌は、旧江ヶ崎跨線橋がかながわの橋100選、鉄の橋百選、日本の近代土木遺産に選定されたと記すが、神奈川県が公開していた江ケ崎跨線橋のページは国立国会図書館のアーカイブへ転送され、本文を取得できなかった。
- 当初部材のうちどれだけが再利用されたのかを割合や重量で示した資料には到達できなかった。横浜市のページは当初部材を極力再利用していると記す。
- トラスの高さを記した横浜市の資料には到達できなかった。
- 現地に説明板や案内板があるかどうかを示す公的な資料には到達できなかった。
- 隅田川橋梁が撤去された理由の説明が資料によって分かれる。横浜市の記者発表資料は常磐線の複線化に伴い1929(昭和4)年に新鶴見操車場に移設されたと記し、建設コンサルタンツ協会の会誌は機関車の重量化により架橋から32年後の1928(昭和3)年に架け替えのため撤去されたと記す。
- 田中賞の受賞が公表された年が資料によって分かれる。横浜市の記者発表資料は平成26年6月19日付で、6月13日の平成26年度土木学会定時総会において平成25年度田中賞を受賞したと記す。建設コンサルタンツ協会の会誌は、開通した2013(平成25)年と同じ年の6月13日に受賞が公表されたと記す。
- 建設当時の支承の扱いの書き方が分かれる。横浜市の記者発表資料は建設当時の支承も再利用したとし、再生前と再生後および設置状況の写真を載せる。建設コンサルタンツ協会の会誌は、橋の脇に旧隅田川橋梁から旧江ヶ崎跨線橋まで使われ続けた支承が展示され、明治時代の橋梁塗装に使われていた鳶色が再現されていると記す。
- 土木学会が令和3年(2021)の全国大会で公開した見学会資料は、江ヶ崎跨線橋を新山下に場所を変えて再利用する工事が現在も行われていると記すが、横浜市の資料は霞橋の開通を平成25年(2013)3月21日とする。
参考・出典
7件出典に基づいて掲載している
- 霞橋が土木学会田中賞(作品部門)を授賞しました(記者発表資料 平成26年6月19日)
横浜市道路局橋梁課・中区中土木事務所 - 霞橋(旧江ヶ崎跨線橋)(歴史を生かしたまちづくり)
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 歴史的建造物の保全(歴史的建造物に認定された橋およびトンネル)
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 横浜市認定歴史的建造物 一覧
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 老朽橋の架け替え(過去に架け替えた橋梁)
横浜市道路・交通政策局橋梁課 - 横浜港港湾区域内の運河の名称及び区域(昭和32年3月30日 告示第31号)
横浜市 - 引き継がれ、語り継がれる「霞橋」(Civil Engineering Consultant VOL.298 2023年1月)
一般社団法人 建設コンサルタンツ協会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課)にそろえた。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市都市整備局企画部都市デザイン室)にそろえた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。