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霞橋(半分の長さになって、三つ目の名で運河に架かる)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

中区新山下の新山下運河に、三角形に鉄を組んだトラスの橋が架かっている。横浜市道路局橋梁課と中土木事務所が平成26年(2014)に出した記者発表資料は、構造形式を下路式プラットトラス橋、橋長を32.96メートル、幅員を6.0メートルと記す。同じ資料は橋歴を三段に分けて書く。隅田川橋梁が明治29年(1896)から、江ヶ崎跨線橋が昭和4年(1929)から、霞橋が平成25年(2013)3月21日の開通から。

横浜市都市整備局都市デザイン室は、この橋を霞橋(旧江ヶ崎跨線橋)の名で載せ、明治29年に日本鉄道土浦線、いまの常磐線の隅田川橋梁として架けられ、昭和4年に新鶴見操車場へ移され、平成25年に霞橋として再移設されたと記す。設計はイギリスのHandy side社、施工は日本鉄道とされる。市の老朽橋の架け替えのページは、江ヶ崎跨線橋を、操車場の建設で分断された地域をつなぐため旧国鉄が鉄道橋を転用したトラス橋と記す。同じページによれば、新山下の先代の霞橋も鋼製橋脚に広い範囲の腐食が見つかって架け替えとなり、そこへ江ヶ崎跨線橋のプラットトラスが移された。どちらの架け替えも平成25年3月の竣工である。

記者発表資料は、格点部のコッターピンや対傾構といった意匠を活かし、建設当時の支承も再利用したと記す。コッターピンは部材をつなぎ留めるくさび、支承は橋の重さを受ける部品を指す。橋梁課のページは、英国式から米国式への過渡期にあたる最後の英国式トラスとして貴重であると記す。平成25年11月8日に横浜市認定歴史的建造物となり、平成25年度の土木学会田中賞(作品部門)を受けた。同じ資料は、橋長32.96メートルのこの橋が田中賞史上もっとも短い橋になったと記す。

渡っている先は運河である。昭和32年(1957)の横浜市告示第31号は、新山下運河の幅員を30.0メートル、延長を1,070メートルと定める。南区の浦舟水道橋も、明治26年(1893)に西の橋として架けられた鉄橋が二度移されて現在地にある。橋は市道として渡れる。運河に降りないこと、車が通るので通行の妨げにならないようにすること。位置は概略である。

霞橋(半分の長さになって、三つ目の名で運河に架かる)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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