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桜道橋(山手隧道と同じ石で仕上げ、断たれる道をつないだ橋)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-19

中区麦田町。山手の丘を掘り下げた道の上に、鉄筋コンクリートのアーチ橋が架かっている。横浜市道路・交通政策局橋梁課の震災復興橋梁一覧は、この桜道橋を橋長14.8メートル、幅員6.3メートル、竣功は昭和3年(1928)、事業主体は国(復興局)と記す。市の都市デザイン室は、構造を上路式鉄筋コンクリート・アーチ橋、設計を内務省復興局、施工を間組と記す。隣の山手隧道も施工は同じ間組で、設計は都市デザイン室が横浜市復興局と記す。

土木学会関東支部の資料は、桜道橋を、山手隧道の建設によって山手地区にある櫻道の分断がないよう架けられた陸橋と説明する。関内から本牧へ抜ける道を通すために丘が掘り下げられ、その掘割が、もとからあった桜道を横切った。橋梁課は、この橋が山手隧道とともに市内最大級の震災復興事業として建造されたこと、橋と隧道の意匠が調和するようにデザインされ、本牧地区から関内地区へのゲートとしての空間を形作ったことを記す。

橋の表面には石が貼られている。橋梁課の「はしのはなし」第十一稿は、山手隧道の本牧側の坑口が、同じ時期に建設された桜道橋や周辺の擁壁と同一の材料を使い、一体感を重視した意匠であること、隧道のアーチと桜道橋のアーチが連なるようになっていることを記す。親柱も残り、土木学会関東支部は、石張り化粧の本体に合わせた力強い意匠と記す。平成16年(2004)に横浜市認定歴史的建造物となり、平成27年(2015)には山手隧道・打越橋・谷戸橋・西の橋とともに、元町・山手地区の震災復興施設群として土木学会選奨土木遺産に選ばれた。震災復興橋梁として現存する鉄筋コンクリートアーチ橋は、長者橋・霞橋・桜道橋の3橋である。

所在地の書き方は資料によって分かれる。橋梁課と震災復興橋梁一覧は中区麦田町一丁目13番地先から一丁目17番地先までとし、都市デザイン室は中区山手町28から麦田町1-17までと両側の町名を記す。橋の名は、橋梁課の「はしのはなし」と震災復興橋梁一覧は櫻道橋、同じ橋梁課の歴史的建造物の保全のページと都市デザイン室は桜道橋と書く。桜道という道の名の由来は、市や区の資料では確認できなかった。橋の下は車の通る道である。見るときは歩道からとし、車道に立ち入らないこと。

桜道橋(山手隧道と同じ石で仕上げ、断たれる道をつないだ橋)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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