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浦舟水道橋(二度場所を移して、まだ渡っている鉄の骨組み)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-17

南区の浦舟町と中村町のあいだ、中村川に細い鉄の橋が架かっている。横浜市都市整備局都市デザイン室は、これを単径間下路式道路橋のピン結合プラットトラス鉄橋と記す。ピン結合プラットトラスは、部材どうしを軸のピンでつないで三角形を組む明治期の形式で、いま残っているものは多くない。この橋が中村川のこの位置に据えられたのは平成元年(1989)だが、組まれている鉄の骨組みそのものは、それより百年近く前のものである。

都市デザイン室は、この鉄橋が明治26年(1893)に旧西の橋として架けられ、昭和2年(1927)に旧翁橋へ移設され、平成元年(1989)に浦舟水道橋として再び移設されたと記す。最初の西の橋を設計したのは神奈川県技師の野口嘉茂で、浦舟水道橋としての設計と施工は日本鋼管工事が担った。土木学会は、横浜にはみなとみらいの汽車道や浦舟水道橋のように、用途と設置場所を変えて再利用されている橋梁が多いと記し、江ヶ崎跨線橋を新山下へ移して再利用する工事が進んでいることにも触れている。名も、渡る場所も、役目も替わった。替わらなかったのは鉄の骨組みだけである。

横浜市認定歴史的建造物の一覧は、この橋の年代を三段に分けて記す。明治26(1893)年当初架設、昭和2(1927)年移設設置、平成元(1989)年再移設設置。ひとつの年では言い表せない橋である。認定は平成12年度(2000)にあたる。いまの名には水道の語が入るが、参照した横浜市の公開資料には、この橋が何を渡しているのかを説明した記述が見あたらなかった。なお、最初の名である西の橋は、いまも中区山下町と石川町のあいだに架かる大正15年(1926)の鋼アーチ橋が名乗っている。名は場所に残り、鉄だけが川をさかのぼった。

浦舟水道橋(二度場所を移して、まだ渡っている鉄の骨組み)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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