昇龍橋(社が去ったあとに残された、同じ場所に架かる橋では市内最古)|何があった場所か
栄区長倉町、いたち川の源流部に小さな石橋が架かっている。橋長5.5メートル、幅員1.5メートル。横浜市道路局橋梁課は、これを鎌倉市今泉で産出される鎌倉石(今泉石)で組んだ石造アーチ橋とし、市内で橋梁課が管理する橋としては唯一の石橋、関東以北で現存する数少ない石橋であると記す。市の都市デザイン室は、構造を石造・アーチ橋、設計と施工をいずれも不詳と記す。橋梁課は、建てられた当時の姿をとどめたまま同じ場所に架かっている橋としては、昇龍橋が市内で最も古いと記す。
この橋は、上郷の村社だった白山神社へ渡る参道の橋である。橋梁課の資料は、白山神社が平安時代末期に鍛冶ケ谷に創建され、鎌倉の艮(北東・鬼門)にあたることから、鎌倉幕府の守艮の神として源頼朝も深く崇敬した社であったと記す。同じ資料は、この社が正中元年(1324)頃に光明ヶ谷神戸へ遷り、そこへ向かう参道橋として架けられた木橋が昇龍橋の始まりだと言われている、と記す。その白山神社は、昭和51年(1976)に東上郷町へ遷り、いまもその土地にある。社は移り、参道と橋だけがここに残された。橋を左岸側へ渡って階段を上がると鳥居の一部と基礎があり、かつてここに石造の鳥居が立っていたことがうかがえる。
いつ石の橋になったのかは、はっきりしない。親柱には大正4年(1915)と刻まれているが、橋の本体が鎌倉石であるのに対し、親柱を含む欄干は御影石でできているため、本体と欄干は時期が異なると推測されている。橋梁課は、大正3年に大正天皇の即位の礼が行われたため、これを記念して翌年に白山神社へ石造の鳥居が、参道の昇龍橋へ欄干が設けられたと考えられる、と記す。明治12年頃に編まれた皇国地誌には昇龍橋の名がなく、すぐ下流の経堂橋の名が載る。都市デザイン室は建築年代を明治中期から大正4年以前の推定とし、栄区がいたち川の案内図に載せる説明は明治30年頃とする。資料によって、年代の幅はまだ閉じていない。
意匠にも見どころがある。アーチを組む輪石は、幅と厚さの比がおよそ3対2で、石造アーチ橋の多い九州・沖縄のものと比べると薄く、繊細なつくりになっている。アーチの頂点に置く要石は五角形をしていて、石橋では非常に珍しいと橋梁課は記す。要石の上部は三角に掘られ、要石と一体に見えるよう仕上げられている。路面は平成2年(1990)の補修工事で、全体のつりあいを崩さないよう平石で化粧された。いたち川には、市内に二つしかない木橋のひとつであるみなもと二の橋や、源氏橋、栄区のしるしであるいたちを親柱にかたどった大いたち橋・小いたち橋なども架かっている。

近くの痕跡
- 東勝寺跡(1333年・北条一門の最期の地)(死の痕跡・約3.8km)
- 堀割川(明治のはじめに人が掘った、根岸湾へ下る運河)(水の痕跡・約8.4km)
- 吉野橋(川の埋め立てなどで、同じ型の橋は二つだけになった)(水の痕跡・約10.0km)
- お三の宮日枝神社(入海を釣鐘の形に埋めた吉田新田と、震災で焼け残った本殿)(水の痕跡・約10.1km)
時のながれ
- 平安時代末期 — 白山神社が鍛冶ケ谷に創建されたと伝わる
- 正中元年(1324)頃 — 白山神社が光明ヶ谷神戸へ遷り、参道に木橋が架けられたと伝わる
- 明治12年(1879)頃 — 皇国地誌に昇龍橋の名はなく、下流の経堂橋の名が載る
- 明治中期 — 木橋から石造アーチ橋へ架け替えられたと考えられている
- 大正4年(1915) — 親柱に刻まれた年。前年の即位の礼を記念して欄干が設けられたと考えられる
- 昭和51年(1976) — 白山神社が東上郷町へ遷る
- 平成2年(1990) — 補修工事で路面が平石の化粧になる
- 平成13年度(2001) — 横浜市認定歴史的建造物に認定される
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市道路局橋梁課が発行する「はしのはなし」第十二稿(令和4年2月)は、昇龍橋を栄区長倉町1-29番地先に所在する橋長5.5メートル・幅員1.5メートルの石造りアーチ橋とし、竣工を明治中頃から大正4年(1915)と記す。
- 同じ資料は、昇龍橋が柏尾川支川のいたち川の源流部に架かること、上郷の村社である白山神社の旧神殿の参道にかかる橋であること、関東以北で現存する数少ない石橋であり、市内で橋梁課が管理する橋としては唯一の石橋であることを記す。
- 同じ資料は、橋の本体が鎌倉市今泉で産出される鎌倉石(今泉石)で作られているのに対し、親柱を含む欄干は御影石で作られていることから竣工年が異なると推測されること、親柱の上流側には昇龍橋、下流側には大正四年と刻まれていることを記す。
- 同じ資料は、大正3年に大正天皇の即位の礼が行われたため、これを記念して翌年に村社である白山神社へ石造の鳥居が、その参道にある昇龍橋へ欄干が設けられたと考えられると記し、橋の欄干がかつては装飾のためという意味合いも強かったと記す。
- 同じ資料は、明治12年頃に編纂された皇国地誌の記録に昇龍橋の名はないが、すぐ下流に経堂橋の名が記載されており、これが木橋から石橋へ架け替えられたのが明治中期頃と推測されること、現在は供用されていない経堂橋も昇龍橋と似た石造アーチ橋であったため、昇龍橋も同時期に現在の石橋になったと考えられていることを記す。
- 同じ資料は、白山神社が平安時代末期に鍛冶ケ谷に創建され、鎌倉の艮(北東・鬼門)に位置することから鎌倉幕府の守艮の神として源頼朝も深く崇敬していた社であったこと、正中元年頃(1324)に光明ヶ谷神戸へ遷宮し、昇龍橋はそこへ向かう参道橋として架けられた木橋が始まりだと言われていること、白山神社が昭和51年(1976)に東上郷町へ遷宮して現在もその土地にあることを記す。参考文献として、間宮士信らが編んだ新編相模国風土記稿、神奈川県神社庁が編んだ神奈川県神社誌、小野寺篤によるよこはまの橋・人・風土を挙げる。
- 同じ資料は、昇龍橋を左岸側へ渡って階段を上がると鳥居の一部や基礎が残されており、かつてこの場所に石造の鳥居があったことがうかがえると記す。
- 同じ資料は、輪石の幅と厚さの比がおよそ3対2で九州・沖縄地区のものと比べ薄く繊細なデザインであること、要石が五角形をしており石橋では非常に珍しいこと、要石の上部が三角に掘られ要石と一体となる意匠であること、路面が平成2年の補修工事で平石での化粧となったことを記す。
- 同じ資料は、当時の姿を留め同じ場所に架けられている橋としては、昇龍橋が市内に現存する中で最も古い橋であると記す。また、いたち川に市内で唯一の木橋であるみなもと二の橋・みなもと三の橋、栄区のシンボルであるいたちを親柱にかたどった大いたち橋・小いたち橋、源氏橋などが架かることを記す。
- 横浜市都市整備局都市デザイン室のページは、昇龍橋の所在地を栄区長倉町1388~1404、構造を石造・アーチ橋、建築年代を明治中期から大正4年以前の推定、設計・施工を不詳と記す。
- 横浜市の歴史的建造物の保全のページは、昇龍橋を歴史的建造物に認定された橋およびトンネル12箇所の一つに挙げ、所在を栄区長倉町1388地先から1404地先まで、構造を石造アーチ橋、建築年代を明治中期から大正4年以前(推定)、市認定歴史的建造物を平成13(2001)年と記す。横浜市認定歴史的建造物の一覧も、昇龍橋の年代を明治中期から大正4(1915)年以前、認定を平成13年度と記す。
- 横浜市栄区がいたち川の案内図に載せる説明は、昇龍橋を明治30年頃に作られたと思われる鎌倉石のアーチ橋とし、横浜市最古の石橋と記す。
そのため、このページではこうしています
- 築造年は資料に幅があるため、一つに決めず、資料ごとの記述を並べた。
- 地図データには昇竜橋の表記も見られるが、横浜市の資料はいずれも昇龍橋と記すため、こちらの字に統一した。
- 座標はいたち川に架かる橋の位置を採った。周囲は谷戸の自然地で、橋は幅1.5メートルと狭い。足もとに気をつけ、川へ降りないこと。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 白山神社が鎌倉幕府の守艮の神として源頼朝に崇敬されたという由緒は、橋梁課の資料が参考文献を挙げて記すものであり、その原典に当たるところまでは到達できなかった。
- 昇龍橋という名がいつ付いたのかを示す記述には到達できなかった。明治12年頃の皇国地誌にこの名は見あたらない。
- 白山神社が昭和51年に東上郷町へ遷った経緯を記す資料には到達できなかった。
- 下流にあったという経堂橋が、いつ供用をやめたのかを示す記述には到達できなかった。
- 築造年の見立てが資料ごとに違う。橋梁課の資料は明治中頃から大正4年(1915)、都市デザイン室は明治中期から大正4年以前の推定、認定一覧は明治中期から大正4(1915)年以前とするのに対し、栄区の案内図は明治30年頃と記す。
- 所在地の地番表記が分かれる。橋梁課の資料は栄区長倉町1-29番地先、都市デザイン室は栄区長倉町1388~1404と記す。
- いたち川の木橋の数え方が、同じ第十二稿のなかで分かれる。みなもと二の橋・みなもと三の橋を市内で唯一の木橋とする箇所と、みなもと二の橋を市内に2橋しかない木橋の1つとする箇所がある。
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- はしのはなし 第十二稿 昇龍橋ものがたり(VOL.12 令和4年2月)
横浜市道路局橋梁課 - 昇龍橋(歴史を生かしたまちづくり)
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - 歴史的建造物の保全(歴史的建造物に認定された橋およびトンネル)
横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課 - 横浜市認定歴史的建造物 一覧
横浜市都市整備局企画部都市デザイン室 - いたち川(栄区の川めぐり案内図)
横浜市栄区
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市道路・交通政策局建設部橋梁課)にそろえた。
- :見出しの「市内でいちばん古い橋」に、資料が付けている条件(当時の姿のまま同じ場所に架かる橋として)を戻した。
- :調査メモで、橋梁課の歴史的建造物の保全のページの記述を原文どおり(所在は栄区長倉町1388地先から1404地先まで、年代は明治中期から大正4年以前(推定))に直した。以前は「大正4年頃」としていた。
- :出典に書いた発行元の名前を、資料のページに書かれた表記(横浜市都市整備局企画部都市デザイン室)にそろえた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。