権現山の跡(絵図のなかにだけ高い山がある)|何があった場所か
横浜市神奈川区の神奈川宿歴史の道の案内は、神奈川宿を描く絵図には街道北側にひときわ高い山が描かれていることが多いとし、その山を権現山というと記す。幕末に描かれた「神奈川権現山外国人遊覧」の図にも、外国人の背後にこの山が見えているという。そのうえで同じ案内は、しかし、今はもうそれらしき山はありません、と続ける。絵図と現在の風景を見比べたとき、あるはずの高まりが見あたらない。
山がどこへ行ったのかも、同じ案内が書いている。幕末から明治にかけてこの山が削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使われたのである。区は、現在、幸ケ谷公園や幸ケ谷小学校のある丘は権現山の跡であり、本覺寺のある丘ともひと続きでした、と記す。ひと続きだった丘が二つに分かれたのは、鉄道が通ったからだという。同じ案内は、この丘を切り開いて明治5年(1872年)に新橋と横浜のあいだに鉄道が通され、工事に伴って鉄道をまたいで旧東海道を結ぶ青木橋が架けられたと記す。当時の神奈川の停車場は、この橋のすぐ南側につくられていた。
この山は古戦場としても知られる。区の案内は、戦国時代、関東管領上杉一門の家臣でありながら北条早雲に内通して主君に反旗を翻した上田蔵人の砦が、この山の上にあったと記す。管領方二万の大軍が山上の上田方の砦を包囲し、十日にわたる戦いの後、ついに上田方の砦が落ちたといわれている、とも記す。

近くの痕跡
- 洲崎大神(まっすぐ南を向く参道と、その先にあった舟着き場)(地の痕跡・約82m)
- 神奈川の大井戸(宿場の名水が、屋根と釣瓶をそなえて寺の脇に残る)(水の痕跡・約235m)
- 高札場(掲示が立っていた場所と、復原された場所は別にある)(地の痕跡・約511m)
- 神奈川台場跡(海に突き出た扇形と、鍵を借りて見る石垣)(戦の痕跡・約536m)
時のながれ
- 戦国時代 — 上田蔵人の砦が山の上にあった。管領方二万の大軍が包囲し、十日にわたる戦いの後に砦が落ちたと区は記す。
- 幕末 — 「神奈川権現山外国人遊覧」の図に、外国人の背後の高い山として描かれる。
- 万延元年(1860年) — 神奈川台場が完成する。その埋め立てに、この山の土が使われた。
- 明治5年(1872年) — 丘を切り開いて新橋と横浜のあいだに鉄道が通る。旧東海道を結ぶ青木橋が架けられる。
- 現在 — 幸ケ谷公園と幸ケ谷小学校のある丘が、山の跡として残る。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市神奈川区の神奈川宿歴史の道のパンフレット(説明2)は、神奈川宿を描く絵図には街道北側にひときわ高い山が描かれていることが多いとし、その山を権現山というと記す。
- 同じパンフレットは、幕末に描かれた「神奈川権現山外国人遊覧」の図にも外国人の背後にこの山が見えているとしたうえで、今はもうそれらしき山はありませんと記す。
- 同じパンフレットは、幕末から明治にかけてこの山が削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使われたと記す。
- 同じパンフレットは、現在、幸ケ谷公園や幸ケ谷小学校のある丘は権現山の跡であり、本覺寺のある丘ともひと続きでしたと記す。
- 同じパンフレットは、本覺寺のある丘と幸ケ谷公園のある丘を切り開いて明治5年(1872年)に新橋と横浜のあいだに鉄道が通されたとし、この工事に伴って鉄道をまたいで旧東海道を結ぶ橋として青木橋が架けられ、当時の神奈川の停車場がこの橋のすぐ南側につくられていたと記す。
- 同じパンフレットは、権現山が古戦場として知られるとし、戦国時代、関東管領上杉一門の家臣でありながら北条早雲に内通して主君に反旗を翻した上田蔵人の砦がこの山の上にあったと記す。
- 同じパンフレットは、管領方二万の大軍が山上の上田方の砦を包囲し、十日にわたる戦いの後、ついに上田方の砦が落ちたといわれていると記す。
そのため、このページではこうしています
- 位置は幸ケ谷公園のあたりである。区の案内が、幸ケ谷公園や幸ケ谷小学校のある丘を権現山の跡と書いているのに合わせた。山そのものは、本覺寺のある丘まで続く広がりを持っていた。
- 戦いの経緯は区の案内が書いている範囲だけを引いた。人数や日数は、区の文が伝えるとおりの数字である。
- 小学校は子どもたちが通う場所である。丘の地形を見るなら、公園の側から眺めたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 削られる前の権現山の高さを示す公的な資料には到達できなかった。
- 山を削る工事がいつ始まりいつ終わったかを年で示した公的な資料には到達できなかった。区の案内は幕末から明治にかけてと記すにとどまる。
- 砦をめぐる戦いの年は、神奈川宿歴史の道の案内には書かれていない。同じ神奈川区の歴史年表は、1510年(永正7年)に権現山の合戦と記す。
- 現在の丘の標高や公園の面積を示す横浜市の資料には到達できなかった。
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 神奈川宿歴史の道 説明2(鉄道の開通と青木橋、洲崎大神、権現山、神奈川の大井戸ほか)
横浜市神奈川区役所 - 神奈川宿歴史の道
横浜市神奈川区役所 - 神奈川台場跡(かながわだいばあと)
横浜市神奈川区役所 - 神奈川区の歴史年表
横浜市神奈川区役所
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :要約の最後の一文(二万の兵を十日ひきつけるだけの高さと構えがあった山は、いま桜の公園になっている)を削った。戦いの話は伝えられている話で、山の高さを示すものではなく、桜の記述もどの出典にも無いため。
- :戦いの年について「区の案内には見あたらなかった」としていたのを直した。神奈川区の歴史年表が1510年(永正7年)を権現山の合戦の年としているため、その年表を出典に加えた。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。