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権現山の跡(絵図のなかにだけ高い山がある)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 町域 / 最終確認日: 2026-09-14

横浜市神奈川区の神奈川宿歴史の道の案内は、神奈川宿を描く絵図には街道北側にひときわ高い山が描かれていることが多いとし、その山を権現山というと記す。幕末に描かれた「神奈川権現山外国人遊覧」の図にも、外国人の背後にこの山が見えているという。そのうえで同じ案内は、しかし、今はもうそれらしき山はありません、と続ける。絵図と現在の風景を見比べたとき、あるはずの高まりが見あたらない。

山がどこへ行ったのかも、同じ案内が書いている。幕末から明治にかけてこの山が削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使われたのである。区は、現在、幸ケ谷公園や幸ケ谷小学校のある丘は権現山の跡であり、本覺寺のある丘ともひと続きでした、と記す。ひと続きだった丘が二つに分かれたのは、鉄道が通ったからだという。同じ案内は、この丘を切り開いて明治5年(1872年)に新橋と横浜のあいだに鉄道が通され、工事に伴って鉄道をまたいで旧東海道を結ぶ青木橋が架けられたと記す。当時の神奈川の停車場は、この橋のすぐ南側につくられていた。

この山は古戦場としても知られる。区の案内は、戦国時代、関東管領上杉一門の家臣でありながら北条早雲に内通して主君に反旗を翻した上田蔵人の砦が、この山の上にあったと記す。管領方二万の大軍が山上の上田方の砦を包囲し、十日にわたる戦いの後、ついに上田方の砦が落ちたといわれている、とも記す。

権現山の跡(絵図のなかにだけ高い山がある)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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