神奈川台場跡(海に突き出た扇形と、鍵を借りて見る石垣)|何があった場所か
横浜市神奈川区は、旧街道をはずれ、滝の川に沿って海に向かい、JR貨物線に突きあたる辺りが神奈川台場跡であると記す。同じ案内は、開港当時ここに大砲が置かれ、港を警備していたとする。当時の台場は面積約八千坪の海に突き出た扇形だったという。いま同じ場所に立っても海は見えない。
区は、江戸幕府が伊予松山藩に建設を命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築したと記す。約七万両の費用と一年の歳月を費やして、万延元年(1860年)に完成した。そして明治32年(1899年)に廃止されるまで礼砲用として使われた、と区は続ける。礼砲は、外国の船や賓客を迎えるときに撃つ空砲である。
台場を築くための土がどこから来たのかも、区の資料は書いている。神奈川宿歴史の道の案内は、街道の北側にひときわ高い山として絵図に描かれてきた権現山が、幕末から明治にかけて削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使われたと記す。
区は、埋め立てが進み、現在では石垣の一部のみ見ることができると記す。その石垣を間近で見るには手続きがいる。神奈川区は神奈川台場遺構見学用の鍵を貸し出しており、横浜市電子申請・届出システムからの申請を、システムの利用が難しい場合は借用申請書の郵送・ファクスによる申請を、借用開始予定日から原則1週間前までに行うよう案内している。鍵の受取と返却は神奈川区役所区政推進課企画調整係で、見学時間は原則として9時から16時45分までとされる。区は、横浜市中央卸売市場本場の運営の妨げとなる行為を行わないことや、遺構と周辺施設を汚損・毀損しないこと、ごみを持ち帰ることを条件に挙げている。

近くの痕跡
- 神奈川の大井戸(宿場の名水が、屋根と釣瓶をそなえて寺の脇に残る)(水の痕跡・約338m)
- 高札場(掲示が立っていた場所と、復原された場所は別にある)(地の痕跡・約430m)
- 洲崎大神(まっすぐ南を向く参道と、その先にあった舟着き場)(地の痕跡・約484m)
- 権現山の跡(絵図のなかにだけ高い山がある)(地の痕跡・約536m)
時のながれ
- 幕末 — 江戸幕府が伊予松山藩に建設を命じ、勝海舟の設計で海防砲台が構築される。
- 万延元年(1860年) — 約八千坪の扇形の台場が、約七万両の費用と一年の歳月をかけて完成する。
- 幕末から明治にかけて — 権現山が削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使われたと区は記す。
- 明治32年(1899年) — 廃止される。それまでは礼砲用として使われた。
- 現在 — 埋め立てが進み、石垣の一部のみを見ることができる。見学には区役所で鍵を借りる手続きがいる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 横浜市神奈川区の神奈川台場跡の案内は、旧街道をはずれ、滝の川に沿って海に向かい、JR貨物線に突きあたる辺りが神奈川台場跡であるとし、開港当時大砲が置かれ、港を警備していたと記す。
- 同じ案内は、江戸幕府が伊予松山藩に建設を命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築したと記す。
- 同じ案内は、当時の台場が面積約八千坪の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と一年の歳月を費やして万延元年(1860年)に完成したと記す。
- 同じ案内は、明治32年(1899年)に廃止されるまで礼砲用として使われたと記し、埋め立てが進み現在では石垣の一部のみ見ることができるとする。
- 神奈川区の神奈川宿歴史の道のパンフレット(説明2)は、幕末から明治にかけて権現山が削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使われたと記す。
- 神奈川区の神奈川台場遺構見学用鍵の貸出しの案内は、横浜市電子申請・届出システムからの申請を、システムの利用が困難な場合は借用申請書の郵送・ファクスによる申請を、借用開始予定日から原則1週間前までに行うよう求めている。鍵の受取・返却場所は神奈川区役所区政推進課企画調整係で、見学時間は原則として9時から16時45分までとする。
- 同じ案内は、遺構及び周辺施設の汚損・毀損を行わないこと、ごみ等は持ち帰ること、横浜市中央卸売市場本場の運営の妨げとなる行為を行わないことなどを守る条件として挙げている。
そのため、このページではこうしています
- 位置は神奈川台場公園のあたりである。区の案内は、旧街道をはずれ滝の川に沿って海へ向かいJR貨物線に突きあたる辺りという書き方で範囲を示しており、台場そのものは埋め立て地の下に広がる。
- 石垣の遺構は誰でもいつでも入れる場所にはない。見学したい場合は、区が案内する鍵の貸出しの手続きをとることになる。区は、横浜市中央卸売市場本場の運営の妨げとなる行為を行わないことを条件に挙げている。
- 権現山から土が運ばれた経緯は、同じ区の別の案内に書かれている。台場の成り立ちを知るうえで欠かせないため、あわせて引いた。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 台場に据えられた大砲の数や種類を示す公的な資料には到達できなかった。
- 石垣の遺構が地中にどこまで残っているかを示す公的な調査結果には到達できなかった。
- 文化財としての指定の有無を示す横浜市の一覧には到達できなかった。
- 築造の着工年を示す公的な資料には到達できなかった。区の案内は工期を一年とし、完成を万延元年(1860年)と記す。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 神奈川台場跡(かながわだいばあと)
横浜市神奈川区役所 - 神奈川台場遺構見学用鍵の貸出し
横浜市神奈川区役所 - 神奈川宿歴史の道 説明2(鉄道の開通と青木橋、洲崎大神、権現山、神奈川の大井戸ほか)
横浜市神奈川区役所
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :要約の「海へ八千坪を足すために、陸の側では山ひとつ分の高さが失われた」を削った。資料は、権現山の土が台場と鉄道用地の両方の埋め立てに使われたと記しており、台場だけが理由ではないため。
- :鍵の借用の申請方法を、資料どおり「電子申請が原則で、郵送・ファクスはシステムの利用が難しい場合」に直した。遺構が中央卸売市場本場の区域にあるとした一文も、資料に無いため改めた。
- :編集部の注記の「市場が働いている場所でもあるため」を改め、区が、横浜市中央卸売市場本場の運営の妨げとなる行為を行わないことを鍵の貸出しの条件に挙げている、と資料の書き方どおりにした。遺構と市場の関係を資料に無い言い方で書いていたためだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。