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台町の坂(茶屋から海を見おろした神奈川宿の高台)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 町域 / 最終確認日: 2026-09-13

横浜駅の北側、旧東海道が丘の上を通る区間に台町がある。横浜市神奈川区の神奈川宿歴史の道の案内は、現在の台町あたりを、かつて神奈川湊を見おろす景勝の地だったと記す。横浜市道路局計画調整部企画課の東海道の案内も、昔の東海道は海に沿って伸びており、神奈川宿が東海道有数の景勝地である袖ヶ浦のそばにあったと記す。いま同じ坂から見えるのは、横浜駅方面の市街地である。

区の案内は、『東海道中膝栗毛』から「爰は片側に茶店軒をならべ、いずれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」という一節を引き、弥次さんと喜多さんが茶店女の声に引かれて立ち寄り、鰺の塩焼をさかなに一杯ひっかけたあと旅を続けたと記す。絵図に見える茶屋のさくらやは現在ある料亭のあたりだといわれ、この付近の地形は今でも旧東海道の面影を残すという。坂の西のはしにあたる上台橋について、区の案内は、かつてこのあたりが潮騒の聞こえる海辺の道だったと記す。

海が消えたのは埋め立てによる。横浜市道路局河川企画課の「川のはなし」第十稿は、江戸時代はじめ、横浜駅周辺が保土ケ谷区の天王町付近を河口とする袖ヶ浦という内湾だったとし、宝永4年(1707年)の富士山噴火で流れ込んだ大量の降灰が沖の水深を浅くし、次第に寄洲や干潟があらわれて、一帯を新田に開発しやすい場所へ変えたと記す。新田開発は江戸時代中期から進み、区の案内は、やがてこのあたり一帯が埋め立てられ、古い神奈川湊から新しいミナトヨコハマへと姿を変えていったと結んでいる。

台町の坂(茶屋から海を見おろした神奈川宿の高台)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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