東の常夜灯(鳴海宿の入口を示した文化三年の石灯籠)|何があった場所か
名古屋市緑区の東海道沿いに、石の灯籠が一基立っている。名古屋市緑区は、文化3年(1806年)宿場町の東の入り口に建てられたとし、夜灯明をつけ旅人の目印、宿や道中の安全を祈願したものであり、木戸と立場(茶屋)があったと記す。区は、石灯籠の四面に、永代常夜灯、宿中為安全、秋葉大権現、文化三丙寅正月との文字が刻まれていると書く。
区の史跡散策路の案内も、文化3年(1806)宿場町の東入口に、旅人の目印・宿並びに道中の安全を祈願して建てられたものと記す。灯籠が立っていた場所は、宿場の内と外を分ける境であった。木戸も茶屋も残っていない。残っているのは灯籠と、そこが入口であったという事実だけである。刻まれた文字を、区の一覧と散策路の案内は宿中為安全と書き、区の記念誌『緑区誌』の常夜灯の項は宿中安全と書く。どちらの書き方でも、宿中の語は旅人ではなく宿そのものの無事を願う言い方にあたる。

近くの痕跡
- 善照寺砦跡(砦公園と、南東に開ける眺め)(戦の痕跡・約886m)
- 鳴海城跡(天神社の高台と鳴海城跡公園)(戦の痕跡・約945m)
- 雷貝塚(土器に名を残した、鳴海の貝塚の先駆け)(地の痕跡・約1.0km)
- 鳴海球場跡(教習所の敷地に残るスタンド)(地の痕跡・約1.1km)
時のながれ
- 慶長6年(1601年) — 名古屋市緑区の記念誌『緑区誌』は、東海道の制定された慶長6年に鳴海が宿駅となったと記す。
- 文化3年(1806年)正月 — 宿場町の東の入り口に常夜灯が建てられる。灯籠には永代常夜灯・宿中為安全・秋葉大権現・文化三丙寅正月の文字が刻まれる。
- 江戸時代 — 灯籠のそばには木戸と立場(茶屋)があり、夜には灯明がともされて旅人の目印になっていたと区は記す。
- 現在 — 木戸と茶屋は残らず、灯籠だけが道端に立つ。区の史跡散策路・鳴海宿コースの立ち寄り地点になっている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市緑区の鳴海周辺のみどころ一覧は、東の常夜灯について、文化3年(1806年)宿場町の東の入り口に建てられたと記す。
- 同じ一覧は、夜灯明をつけ旅人の目印、宿や道中の安全を祈願したものであり、木戸と立場(茶屋)があったと記す。
- 同じ一覧は、石灯籠の四面に、永代常夜灯・宿中為安全・秋葉大権現・文化三丙寅正月との文字が刻まれていると記す。
- 名古屋市緑区の史跡散策路・鳴海宿コースの案内は、常夜燈を、文化3年(1806)宿場町の東入口に、旅人の目印・宿並びに道中の安全を祈願して建てられたものと記す。
- 同じ鳴海宿コースの案内は、コースの道すじを、名鉄鳴海駅を起点に浅間社・中島砦跡・常夜燈・金剛寺・瑞泉寺・善照寺砦跡などをめぐる約4.2キロメートルとして示す。
- 名古屋市が公開する市指定文化財の一覧(令和7年8月12日現在)に、この常夜灯の名は見あたらない。
- 名古屋市緑区の緑区制50周年記念誌『緑区誌』は、鳴海が東海道の制定された慶長6(1601)年に宿駅となったと記す。同じ記念誌は、西の丹下の常夜灯を寛政4(1792)年の設置とする。
- 同じ記念誌の常夜灯の項は、この灯籠を鳴海宿の東玄関平部の常夜灯と書き、文化3(1806)年に建てられ「宿中安全」「秋葉大権現」の文字が彫られていると記す。
そのため、このページではこうしています
- 灯籠の四面の文字は、区のみどころ一覧と散策路の案内が示す表記のとおりである。『緑区誌』の常夜灯の項は宿中安全と一字少なく書くため、両方の書き方を並べ、どちらが刻字どおりかは決めなかった。宿中の語は、旅人ではなく宿そのものの無事を願う言い方にあたる。
- 宿場の西の入口にも別の常夜灯があり、そちらは寛政4年(1792年)のものとされる。二基の建立年が十四年離れていることは、区の資料からは理由が分からない。
- 灯籠は道端に立っており、まわりは生活道路である。通行の妨げにならないようにし、石には手を触れないようにしたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 灯籠を建てた人や、費用を出した人を示す公的な資料には到達できなかった。
- 木戸と立場がいつ失われたかを示す資料には到達できなかった。
- 灯籠が現在の位置から動かされたことがあるかどうかを示す資料には到達できなかった。
- この灯籠が国や県の文化財として登録されているかどうかは、名古屋市以外の一覧まで当たれていない。
- 呼び名が資料により異なる。みどころ一覧は東の常夜灯と書き、史跡散策路の案内は常夜燈と書く。灯と燈の字も揺れる。
- 刻まれた文字の書き方が資料により異なる。みどころ一覧と史跡散策路の案内は「宿中為安全」と書き、『緑区誌』の常夜灯の項は「宿中安全」と書く。同じ項は四面の文字のうち「宿中安全」「秋葉大権現」の二つだけを挙げる。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
5件出典に基づいて掲載している
- 鳴海周辺のみどころ一覧4(雷貝塚・鳴海球場跡・二位殿塚ほか)
名古屋市緑区役所 - 緑区史跡散策路・鳴海宿コースの紹介
名古屋市緑区役所 - 緑区の名所・史跡巡り一覧
名古屋市緑区役所 - 市指定文化財一覧
名古屋市 - 緑区制50周年記念誌「緑区誌」第2部第1章(2)(江戸時代の緑区)
名古屋市緑区役所
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :年表の慶長6年(1601年)の項「東海道が定められ、鳴海が宿駅となる。」は出典欄の資料に記述が無かったため、名古屋市緑区の記念誌『緑区誌』を出典に足し、「東海道の制定された慶長6年に鳴海が宿駅となった」という記念誌の書き方に改めた。研究メモの確認事項に記念誌の記述を足した。続けて、灯籠の文字を区の資料は「宿中為安全」、記念誌の常夜灯の項は「宿中安全」と書く違いを食い違いに並べ、要約と研究メモの「宿中為安全の四文字は」を両方の書き方を示す文に改めた。記念誌がこの灯籠を平部の常夜灯と記すことを確認事項に足した。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。