塩付街道(星崎の塩を信州へ運んだ細い道)|何があった場所か
名古屋市昭和区のほぼ中央を、南北に細い道が通っている。名古屋市昭和区は、塩付街道は、昭和区のほぼ中央を南北に通る道で、南は星崎付近から北は瀬戸街道につながっていますと記す。そして、塩付という名は、星崎付近の塩田で取れた塩を、足助を経て信州方面に運ばれたことに由来しますと書く。海でつくられた塩が、山へ向かって運ばれていった道である。
区は、塩は馬によって運ばれましたので、馬の安全を祈って所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置されており、特に白山社北側は当時の面影が強く残っていますと記す。また、この道は現在の塩付通の西側を通る狭い道で、その静けさは古くからある道だと感じられますとも書く。いま広い塩付通を歩いても、もとの道すじには出会えない。その一本西の、細いほうが古い道にあたる。

近くの痕跡
- 檀渓跡(尾張名所図会に描かれた山崎川の渓谷)(地の痕跡・約934m)
- 山崎川の改修跡(鼎小橋とふるさとの川整備区間)(水の痕跡・約1.8km)
- 精進川の付け替えと新堀川(堀留・記念橋付近)(水の痕跡・約2.9km)
- 白鳥貯木場跡(太夫堀と、斜めに走る道になった貨物線)(水の痕跡・約3.8km)
時のながれ
- 年代不詳 — 星崎付近の塩田で取れた塩が、足助を経て信州方面へ運ばれる。道は馬によって塩を運ぶ道であった。
- 道沿いに — 馬の安全を祈って、所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置される。
- 現在 — 区は、白山社北側に当時の面影が強く残るとし、街道は現在の塩付通の西側を通る狭い道であると記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市昭和区の檀渓・街道コースの案内は、塩付街道を、昭和区のほぼ中央を南北に通る道で、南は星崎付近から北は瀬戸街道につながっていると記す。
- 同じ案内は、塩付という名について、星崎付近の塩田で取れた塩を、足助を経て信州方面に運ばれたことに由来すると記す。
- 同じ案内は、塩は馬によって運ばれたので、馬の安全を祈って所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置されており、特に白山社北側は当時の面影が強く残っていると記す。
- 同じ案内は、この道が現在の塩付通の西側を通る狭い道で、その静けさは古くからある道だと感じられると記す。
- 同じ案内は、隣り合う飯田街道について、名古屋と信州飯田を結んでいる街道で、昭和区は地下鉄吹上駅付近から八事にかけて区内をほぼ斜めに通っている道であるとし、信州からはタバコや木地椀などが、名古屋からは塩、干魚や瀬戸物などが運ばれたと記す。
そのため、このページではこうしています
- 位置は、区が当時の面影が強く残ると書く白山社の北側にあたる石仏町のあたりに点を置いた。街道は南北に長い道であり、一点で代表できるものではないため、位置は町域までの精度である。
- 石仏や祠は、地元の人が手入れをしている信仰の対象である。移動させたり手を触れたりせず、道から見るにとどめたい。
- 道は住宅地の生活道路である。車や自転車の通行を妨げないようにしたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 街道がいつ開かれたかを示す年次は、区の公開資料には見あたらない。
- 馬頭観音や地蔵菩薩が何体あり、それぞれいつのものかを示す公的な一覧には到達できなかった。
- 街道の道すじを一本の線で示した公的な図面には到達できなかった。
- 塩の輸送量や、いつまで運ばれていたかを示す資料には到達できなかった。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
2件出典に基づいて掲載している
- 檀渓・街道コース(昭和区)
名古屋市昭和区役所 - 市指定文化財一覧
名古屋市
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :時のながれの、塩が足助を経て信州へ運ばれた項の時代を「江戸時代」から「年代不詳」に改めた。出典の昭和区の資料は街道の年代を示しておらず、まだ分かっていないことにも、開かれた年は資料に見当たらないとしていたためだ。
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。