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鳴海球場跡(教習所の敷地に残るスタンド)|何があった場所か

自治体史・公的アーカイブ・碑文や現地の掲示など、一次資料で内容を確認済みの情報です。
位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-12

名古屋市緑区の鳴海に、野球場の輪郭をそのまま残した自動車教習所がある。名古屋市緑区は、鳴海球場が昭和2年10月に最初の試合が開始されてから中等野球(現高校野球)のメッカとして名選手を生み出し、甲子園球場や神宮球場と日本三大球場として少年のあこがれの球場だったと記す。日本野球機構は、愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道)が1928年10月に鳴海球場を竣工開場したとし、当初は両翼106メートル、中堅136メートル、内野スタンドに鉄傘もあり収容人員2万人と巨大だったと記す。

日本野球機構は、1931年に1試合、1934年に2試合の日米野球も開催されたとし、1936年2月には巨人の米国遠征前の壮行試合として、金鯱と日本プロ野球では初のプロ同士の試合を行い、金鯱が10対3で勝利したと記す。終わりの時期は、二つの資料が重なる。区は昭和33年秋期高校野球大会を最後に翌年名鉄自動車学校になったと書き、機構は1958年に閉鎖されると翌年名鉄自動車学校に生まれ変わったが、スタンドの一部は当時のまま残ると書く。機構は、2007年に教習所内に鳴海球場跡のプレートが設置されたとも記す。

区は、一部スタンドを整備工場に使用し球場の面影が今でも残っていると記す。建物として残るのはスタンドの一部で、それも整備工場として使われている。球場は取り壊されて消えたのではなく、別の用途に読み替えられて残った。現在の敷地は営業中の自動車教習所であり、一般に開かれた史跡ではない。跡地であることを示すプレートが置かれたのは、閉場から49年のちのことである。

鳴海球場跡(教習所の敷地に残るスタンド)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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