鳴海球場跡(教習所の敷地に残るスタンド)|何があった場所か
名古屋市緑区の鳴海に、野球場の輪郭をそのまま残した自動車教習所がある。名古屋市緑区は、鳴海球場が昭和2年10月に最初の試合が開始されてから中等野球(現高校野球)のメッカとして名選手を生み出し、甲子園球場や神宮球場と日本三大球場として少年のあこがれの球場だったと記す。日本野球機構は、愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道)が1928年10月に鳴海球場を竣工開場したとし、当初は両翼106メートル、中堅136メートル、内野スタンドに鉄傘もあり収容人員2万人と巨大だったと記す。
日本野球機構は、1931年に1試合、1934年に2試合の日米野球も開催されたとし、1936年2月には巨人の米国遠征前の壮行試合として、金鯱と日本プロ野球では初のプロ同士の試合を行い、金鯱が10対3で勝利したと記す。終わりの時期は、二つの資料が重なる。区は昭和33年秋期高校野球大会を最後に翌年名鉄自動車学校になったと書き、機構は1958年に閉鎖されると翌年名鉄自動車学校に生まれ変わったが、スタンドの一部は当時のまま残ると書く。機構は、2007年に教習所内に鳴海球場跡のプレートが設置されたとも記す。
区は、一部スタンドを整備工場に使用し球場の面影が今でも残っていると記す。建物として残るのはスタンドの一部で、それも整備工場として使われている。球場は取り壊されて消えたのではなく、別の用途に読み替えられて残った。現在の敷地は営業中の自動車教習所であり、一般に開かれた史跡ではない。跡地であることを示すプレートが置かれたのは、閉場から49年のちのことである。

近くの痕跡
- 雷貝塚(土器に名を残した、鳴海の貝塚の先駆け)(地の痕跡・約236m)
- 善照寺砦跡(砦公園と、南東に開ける眺め)(戦の痕跡・約251m)
- 鳴海城跡(天神社の高台と鳴海城跡公園)(戦の痕跡・約484m)
- 東の常夜灯(鳴海宿の入口を示した文化三年の石灯籠)(地の痕跡・約1.1km)
時のながれ
- 昭和2年〜3年(1927〜1928年) — 鳴海球場が開く。区は昭和2年10月に最初の試合が開始されたと記し、日本野球機構は1928年10月に竣工開場したと記す。
- 昭和6年・9年(1931年・1934年) — 日米野球が開かれる。機構は1931年に1試合、1934年に2試合と記す。
- 昭和11年(1936年)2月 — 巨人の米国遠征前の壮行試合として、金鯱との試合が行われる。機構は日本プロ野球では初のプロ同士の試合とし、金鯱が10対3で勝ったと記す。
- 昭和33年(1958年) — 球場が閉じる。区は昭和33年秋期高校野球大会を最後にと記す。
- 昭和34年(1959年) — 跡地が名鉄自動車学校になる。スタンドの一部はそのまま残される。
- 平成19年(2007年) — 教習所内に鳴海球場跡のプレートが設置される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市緑区の鳴海周辺のみどころ一覧は、鳴海球場について、昭和2年10月に最初の試合が開始されてから中等野球(現高校野球)のメッカとして名選手を生み出し、甲子園球場や神宮球場と日本三大球場として少年のあこがれの球場だったと記す。
- 同じ一覧は、昭和33年秋期高校野球大会を最後に翌年名鉄自動車学校になったとし、一部スタンドを整備工場に使用し球場の面影が今でも残っていると記す。
- 日本野球機構の聖地・名所150選は、愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道)が1928年10月に鳴海球場を竣工開場したとし、当初は両翼106メートル、中堅136メートル、内野スタンドに鉄傘もあり収容人員2万人と巨大だったと記す。
- 同じ記事は、中等学校野球の予選がすべてここで行われたほか、1931年に1試合、1934年に2試合の日米野球も開催されたと記す。
- 同じ記事は、1936年2月に巨人の米国遠征前の壮行試合として、金鯱と日本プロ野球では初のプロ同士の試合を行い、金鯱が10対3で勝利したと記す。
- 同じ記事は、戦後の一時期、中日の二軍の本拠地にもなったとし、1958年に閉鎖されると翌年名鉄自動車学校に生まれ変わったが、スタンドの一部は当時のまま残ると記す。2007年に教習所内に鳴海球場跡のプレートが設置されたとも記す。
- 名古屋市が公開する市指定文化財の一覧(令和7年8月12日現在)に、この球場跡の名は見あたらない。
そのため、このページではこうしています
- 開場の年は、区と日本野球機構のどちらにも寄せず、両方の書き方をそのまま並べた。
- 現在の敷地は営業中の自動車教習所である。教習の妨げになるため、敷地に立ち入らず、道路など公共の場所から眺めるだけにしたい。
- 座標は教習所の位置を採った。球場そのものの中心ではなく、跡地にあたる施設の位置である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 残っているスタンドが、どの部分のどれだけの長さかを示す公的な資料には到達できなかった。
- 記念プレートを見学できる条件や、敷地に入れるかどうかを示す公的な案内には到達できなかった。
- 球場の設計者や、建設にかかった費用を示す資料には到達できなかった。
- 昭和2年10月と1928年10月という二つの時期のどちらが正しいかを決める一次資料には到達できなかった。
- 始まりの年が資料により一年ずれる。名古屋市緑区は昭和2年10月に最初の試合が開始されたと書き、日本野球機構は1928年(昭和3年)10月に竣工開場したと書く。最初の試合と竣工開場という言葉の指すものが違う可能性もある。
- 終わりの書き方も少し異なる。区は昭和33年秋期高校野球大会を最後にと大会の名で区切り、機構は1958年に閉鎖されたと施設の側で区切る。年は同じである。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 鳴海周辺のみどころ一覧4(雷貝塚・鳴海球場跡・二位殿塚ほか)
名古屋市緑区役所 - 鳴海球場跡(聖地・名所150選)
日本野球機構 - 緑区の名所・史跡巡り一覧
名古屋市緑区役所 - 市指定文化財一覧
名古屋市
この場所について
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