「弓削」の地名と弓削神社二座(物部氏一族・弓削氏の本拠)|何があった場所か
延喜式神名帳には、河内国若江郡に弓削神社二座が載る。八尾市は、江戸時代の「河内志」以来、若江郡の東弓削村の社と志紀郡の弓削村の社の二社をこの二座に当て、両者ともに延喜式内社としていると記す。東弓削の社の祭神は饒速日命と宇麻志麻治命で、物部氏の祖神をまつり、物部氏一族である弓削氏の本拠であった。奈良時代の弓削道鏡もこの氏族の出とされ、「弓削」の文字はいまも市内の地名に残る。

近くの痕跡
- 「惣社」の地名と志貴縣主神社(河内国総社)(地の痕跡・約2.8km)
- 喜連・瓜破 難読地名(喜連瓜破駅周辺)(地の痕跡・約6.1km)
- 杭全神社と「杭全」地名(平野郷とのつながり)(地の痕跡・約6.4km)
- 模擬原子爆弾投下跡地之碑(恩楽寺)(戦の痕跡・約8.8km)
時のながれ
- 古代 — 物部氏の一族である弓削氏がこの地を本拠とした。東弓削の社は同じ祖神をまつる。
- 奈良時代 — 弓削氏の出とされる弓削道鏡が称徳天皇の信任を得て政治の中枢に立つ。八尾市は、由義宮の造営が進められたが天皇の崩御で中止されたと記す。
- 延長5年(927年) — 延喜式神名帳に河内国若江郡「弓削神社二座」が載る。
- 江戸時代 — 「河内志」以来、東弓削村の社と志紀郡弓削村の社の二社をこの二座に当てるようになったと八尾市は記す。
- 現在 — 「弓削」の文字は弓削町・東弓削として市内の地名に残る。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 八尾市公式「曙川東地区の名所・旧跡」で、延喜式神名帳の弓削神社二座の比定・東弓削の社の祭神が饒速日命と宇麻志麻治命であること・物部氏一族弓削氏の本拠であったことを確認した。
- 八尾市公式「道鏡と八尾」で、弓削道鏡が八尾市南部を拠点にした古代氏族・弓削氏の出身であること・「弓削」の文字がいまも八尾市の地名に残ることを確認した。
- 大阪府神社庁で、東弓削の弓削神社の鎮座地(八尾市東弓削1-166)と問い合わせ先が恩智神社であることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 弓削氏の名が二つの社と地名の双方に残っていることが、この土地の痕跡である。
- 祭神は確認できたが、どのような信仰があったかを述べた公的資料は見つけられなかった。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 志紀郡側(八尾市弓削町)の社について、祭神や由緒を述べた公的資料は確認できていない。八尾市の記述も二座の比定に触れるにとどまる。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 弓削神社(東弓削)のエノキとイチョウ境内の保全樹木と祭神を、信仰の側から見ています。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 曙川の名所・旧跡(曙川東地区)
八尾市(公式) - 道鏡と八尾
八尾市(公式) - 弓削神社(ゆげじんじゃ)
大阪府神社庁
この場所について
この場所について、いま知っていることを教えてください。