善照寺砦跡(砦公園と、南東に開ける眺め)|何があった場所か
名古屋市緑区の鳴海に、丘陵の東端を使った砦の跡がある。名古屋市緑区は、桶狭間の合戦の織田方の陣地であるとし、永禄2年(1559年)に織田信長が築いた3つの砦の一つで、丘陵の東端がその跡であると記す。3つの砦の内訳は、区の中島砦跡の説明から読み取れる。そこでは、丹下・善照寺と合わせた3つの砦で鳴海城を包囲するために、信長が扇川と手越川の合流点に中島砦を築いたと説明されている。砦跡の規模は東西24間(43メートル)、南北16間(29メートル)と伝えられ、四方を望見できる見晴らしがよいという。
永禄3年(1560年)の合戦の日、信長はここに兵を集めた。名古屋市緑区は、本隊が駐留しているように見せかけ、幟・旗を残して密かに桶狭間へ移動し奇襲をかけたといわれる、と記す。区の史跡散策路の案内も、信長が桶狭間の奇襲に移る直前、ここに兵を集結したと書く。信長は善照寺砦から中島砦を経て桶狭間へ向かい、その中島砦には梶川平左衛門以下260名の武士が配置されていたという。
現在は公園で、遺構は確認できない。名古屋市緑区は、近年まで老松が茂り砦の松として親しまれていたが、枯死して若松が植えてあると記す。残っているのは、地面の高さと、そこから見えるもののほうである。区は、はるか南東方向に桶狭間や大将ケ根の尾根等が手に取るように眺めることができ、地形上、昔も今も変わらないと書く。公園内には、鳴海絞開祖の三浦玄忠(豊後高田藩竹中候の侍医)夫人の碑がある。

近くの痕跡
- 鳴海球場跡(教習所の敷地に残るスタンド)(地の痕跡・約251m)
- 雷貝塚(土器に名を残した、鳴海の貝塚の先駆け)(地の痕跡・約375m)
- 鳴海城跡(天神社の高台と鳴海城跡公園)(戦の痕跡・約551m)
- 東の常夜灯(鳴海宿の入口を示した文化三年の石灯籠)(地の痕跡・約886m)
時のながれ
- 永禄2年(1559年) — 織田信長が3つの砦を築いたとされる。鳴海宿コースの案内は、今川の将岡部氏の守る根古屋(鳴海)城に対するものと記す。
- 永禄3年(1560年) — 桶狭間の合戦。信長はここに兵を集めたのち、幟・旗を残して密かに桶狭間へ移動し奇襲をかけたといわれる。中島砦を経て向かったと区は記す。
- 近年まで — 老松が茂り、砦の松として親しまれていた。のちに枯死し、若松が植えられている。
- 現在 — 砦公園として開かれ、遺構は確認できない。南東の方向に桶狭間や大将ケ根の尾根が見える地形は変わらないと区は記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 名古屋市緑区の鳴海周辺のみどころ一覧は、善照寺砦跡を桶狭間の合戦の織田方の陣地とし、永禄2年(1559年)に織田信長が築いた3つの砦の一つで、丘陵の東端がその跡であると記す。
- 同じ一覧は、砦跡の規模を東西24間(43メートル)、南北16間(29メートル)と伝えられるとし、四方を望見できる見晴らしがよいと記す。
- 同じ一覧は、信長が合戦に先立ち兵を集め、本隊が駐留しているように見せかけ幟・旗を残して密かに桶狭間へ移動し奇襲をかけたといわれると記す。
- 同じ一覧は、現在は公園で遺構は確認できないとし、近年まで老松が茂り砦の松として親しまれていたが枯死して若松が植えてあると記す。
- 同じ一覧は、はるか南東方向に桶狭間や大将ケ根の尾根等が手に取るように眺めることができ、地形上、昔も今も変わらないと記す。
- 同じ一覧は、公園内に鳴海絞開祖の三浦玄忠(豊後高田藩竹中候の侍医)夫人の碑があると記す。
- 同じ一覧の中島砦跡の項は、丹下・善照寺と合わせた3つの砦で鳴海城を包囲するために織田信長が扇川と手越川の合流点に築いた砦であるとし、梶川平左衛門以下260名の武士を配置したと記す。信長は善照寺砦からこの砦を経て桶狭間に向かったとも記す。
- 名古屋市緑区の史跡散策路・鳴海宿コースの案内は、善照寺砦跡を永禄2年(1559)に織田信長が築いた砦とし、今川の将岡部氏の守る根古屋(鳴海)城に対するもので、信長が桶狭間の奇襲に移る直前にここに兵を集結したと記す。
- 同じ鳴海宿コースの案内は、砦公園内に鳴海絞開祖三浦之碑(鳴海絞組合建立)があると記し、コースの全長を約4.2キロ、起点を名鉄鳴海駅として、中島砦跡・常夜燈・瑞泉寺・善照寺砦跡・根古屋(鳴海)城跡などをめぐる道すじを示す。
- 名古屋市が公開する市指定文化財の一覧(令和7年8月12日現在)に、この砦跡の名は見あたらない。
そのため、このページではこうしています
- 何に対して築かれた砦かは、鳴海城に対するものと明示する鳴海宿コースの案内に従った。
- 座標は砦公園の位置を採った。緯度経度からの逆引きでは近くの別の町名が返るが、公園そのものの位置は複数の地図データで一致する。所在地の表記は、名古屋市の資料が用いる鳴海町の字名にならった。
- 合戦当日の動きは、区の案内がいわれると書く形にならい、伝えとして示した。
- 公園は住宅地の中にあり、近所の公園として使われている。見学は公園として開かれている範囲にとどめたい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 善照寺砦の守将を示す記述は、名古屋市緑区の公開資料には見あたらない。中島砦については梶川平左衛門の名が挙がるが、善照寺砦については記されていない。
- 砦が廃された年や、その後この土地がどう使われたかを示す公的な資料には到達できなかった。
- 発掘調査によって砦の遺構が確認された記録には到達できなかった。区の案内も遺構は確認できないと記す。
- 東西24間・南北16間という規模は伝えられると書かれており、実測にもとづく数値かどうかは確認できない。
- 国や県の文化財の指定・登録の一覧までは確認できていない。
- 鳴海城の呼び方が資料の中で揺れる。名古屋市緑区の鳴海宿コースの案内は根古屋(鳴海)城と書き、みどころ一覧の中島砦跡の項は鳴海城と書く。
- 3つの砦が何に対して築かれたかの書き方が分かれる。みどころ一覧の善照寺砦跡の項は3つの砦の一つとだけ記して対象を書かず、鳴海宿コースの案内は今川の将岡部氏の守る根古屋(鳴海)城に対するものと明示する。
- 公園内の碑の呼び方が分かれる。鳴海宿コースの案内は鳴海絞開祖三浦之碑(鳴海絞組合建立)と記し、みどころ一覧は鳴海絞開祖の三浦玄忠(豊後高田藩竹中候の侍医)夫人の碑と記す。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 鳴海周辺のみどころ一覧4(善照寺砦跡・中島砦跡ほか)
名古屋市緑区役所 - 緑区史跡散策路・鳴海宿コースの紹介
名古屋市緑区役所 - 緑区の名所・史跡巡り一覧
名古屋市緑区役所 - 市指定文化財一覧
名古屋市
この場所について
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