「砂町」の地名由来(海を拓いた砂村新田)|何があった場所か
北砂・南砂・東砂の「砂」は、江戸前期の万治年間に砂村新左衛門一族が海辺の低湿地を拓いた「砂村新田」に由来するとされる。開拓者の姓の一字「砂」が現代の町名に残った例である。

近くの痕跡
- 仙台堀川の埋立区間(仙台堀川公園)(水の痕跡・約701m)
- 東京大空襲・戦災資料センター(戦の痕跡・約770m)
- 猿江貯木場跡(猿江恩賜公園)と「猿江」の地名(地の痕跡・約1.5km)
- 中川船番所跡(小名木川の東端にあった川の関所)(地の痕跡・約1.6km)
時のながれ
- 万治年間(1658〜61) — 砂村新左衛門一族が宝六島周辺の海辺を開拓し、のちに「砂村新田」と呼ばれたと伝わる。区内最大規模の新田開発とされる。
- 寛文7年(1667) — 砂村新左衛門が没する。出身は『御家御代々記』では越前国砂畑村(現・福井県鯖江市)、『新編相模国風土記稿』では摂津国上福島とされる。野毛新田(横浜市)・内川新田(横須賀市)など各地の新田開発に関わったと伝わる。
- 江戸中期〜後期 — 砂村新田は江戸近郊の農産地として発展し、スイカ・カボチャ・キュウリなどの特産地だったとされる。
- 明治22年(1889) — 周辺の新田を合併し、代表的な砂村新田の名をとって「砂村」が成立したとされる。
- 大正10年(1921) — 砂村が「砂町」に改称される。
- 昭和41〜42年(1966〜67) — 住居表示の実施で北砂・東砂・南砂・新砂となり、現在に至る。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式「江東区の地名由来」で、明治22年(1889年)に新田を合併して砂村新田の名から砂村とし、大正10年(1921年)に砂町へ改称、昭和41〜42年の住居表示で北砂・東砂・南砂・新砂となった経緯を確認した。
- 区の公式「砂村新田跡」(区の登録史跡)で、万治年間(1658〜61年)の開拓、区内で最大規模の新田であったこと、新左衛門の出身地は『御家御代々記』では越前国砂畑村(福井県鯖江市)、『新編相模国風土記稿』では摂津国上福島とされること、寛文7年(1667年)に没したこと、スイカやカボチャなどを産する江戸近郊の農地だったことを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 地名の由来は開拓者の名にさかのぼる。ピンは砂村新田跡の範囲を代表する地点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
4件出典に基づいて掲載している
- 江東区の地名由来
江東区 - 砂村新田跡(区登録史跡)
江東区 - 江東区のおいたち
江東区 - 【前期】新田開発にみる砂村(講座案内)
公益財団法人江東区文化コミュニティ財団 砂町文化センター
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :編集部の調査メモ・時のながれ・説明文を1か所ずつ改めた。砂村新左衛門の出身を越前国と言い切っていたが、江東区のページは越前国砂畑村とする記録と摂津国上福島とする記録の二つを並べているため、そのとおりに書いた。時のながれの「土木技術者」「干拓」も出典に無い語のため外し、各地の新田開発に関わったと伝わる、とした。説明文の「姓がそのまま町名に残った」も、区の資料どおり姓の一字「砂」が残った、と改めた。
- :9月28日の訂正が調査メモと時のながれにとどまり、説明文に出典に無い語を含む旧の記述(「一帯はかつて海に面した干拓地だったと伝わる」)が残っていたため、この部分を外した。
この場所について
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