鉄炮鍛冶屋敷と「鉄砲町」(鉄砲鍛冶の町の痕跡)|何があった場所か
種子島への鉄砲伝来後、堺商人が製法を持ち帰り、堺は火縄銃の一大産地になったと伝わる。堺区北旅籠町西には江戸期の鉄炮鍛冶・井上関右衛門家の作業場兼住居が現存し、2024年から町家歴史館として公開されている。天保13年(1842)には、堺の鉄炮鍛冶全体で全国の約8割にあたる239藩と取引したとされる。

近くの痕跡
- 大和川の付け替え(宝永元年)と大和橋(水の痕跡・約650m)
- 方違神社(三国の境と「堺」の地名)(方位の痕跡・約1.7km)
- 第6回大阪大空襲の被災域(堺市街中心・堺大空襲)(戦の痕跡・約1.8km)
- 旧天王貯水池(明治の煉瓦造水道遺構)(水の痕跡・約2.0km)
時のながれ
- 戦国期(16世紀) — 種子島への鉄砲伝来直後、堺商人・橘屋又三郎が製法を学び持ち帰ったのが堺の鉄砲づくりの始まりと伝えられる。堺は日本有数の鉄砲産地へ。
- 江戸期 — 環濠北部に鉄炮鍛冶が集住し分業体制で生産。井上関右衛門家は慶長期に堺へ移り住んだと推定され、天保13年(1842)には堺の鉄炮鍛冶全体で全国約8割にあたる239藩と取引したとされる。
- 平成16年(2004)・平成30年(2018) — 井上関右衛門家住宅の主屋が堺市指定有形文化財に。平成30年に座敷棟・道具蔵・俵倉・附属棟等が追加指定。屋敷からは2万点超の古文書が発見された。
- 令和6年(2024) — 3月3日、保存修理を経て「鉄炮鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)」として一般公開。日本で唯一現存する江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居とされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 施設の正式名称は「鉄炮鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)」である。堺市の公式表記は「鉄炮」を用いている。
そのため、このページではこうしています
- 近隣にあった「堺鉄砲館」は別のガイダンス施設で、2024年をもって閉館したと堺観光ガイドに明記されている。名前が似ており混同されやすい。
- 建物は公開施設だが、周辺は現役の住宅地である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 現行の町名「鉄砲町」は、堺市の町名一覧に堺区の町として載る。ただし、いつ成立した町か、鉄砲鍛冶とどう結びつく名か、鍛冶が集まっていた環濠北部・北旅籠町周辺とどういう関係にあるかは、公的な資料では確認できていない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
8件出典に基づいて掲載している
- 鉄炮鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)
堺市 - 井上関右衛門家住宅 主屋・座敷棟・道具蔵・俵倉・附属棟(市指定有形文化財)
堺市 - 堺区町名一覧
堺市 - 鉄炮鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)|スポット
堺観光コンベンション協会 - ものの始まりなんでも堺(鉄砲:橘屋又三郎と種子島伝来)
堺観光コンベンション協会 - 堺市指定有形文化財 鉄炮鍛冶屋敷
堺市立町家歴史館 - 堺鉄砲館|スポット
堺観光コンベンション協会 - 祝・開館!「鉄炮鍛冶屋敷」見学レポート|特集
堺観光コンベンション協会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :参考・出典に3件を加えた。堺鉄砲館が2024年をもって閉館したことを記す堺観光ガイドのページ、天保13年(1842)に堺の鉄炮鍛冶が全国の約8割にあたる239の藩と取引していたことを記す同じ協会の特集、町の成り立ちを記すWikipediaの記事である。いずれも、すでに載せていた記述の拠りどころが出典の一覧から漏れていたためだ。
- :出典からウィキペディア「鉄砲町 (堺市)」を外した。それだけが根拠だった調査メモの「1929年に成立した町」「鉄砲鍛冶射的場跡碑から試射場に由来する可能性」の記述を外し、町名が堺市の町名一覧に載ることだけを書いて、成り立ちは公的な資料で確認できていない、という書き方に改めた。
- :説明文に、時のながれにある、天保13年に堺の鉄炮鍛冶全体が取引した藩の数を足した。
この場所について
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