第1回大阪大空襲の中心焼失域(ミナミ〜市街西部)|何があった場所か
1945年3月13日深夜〜14日の第1回大阪大空襲では、難波・西区など市街中心部が焼夷弾攻撃で広範囲に焼失した。現在の繁華街の多くは戦後の再建。
時のながれ
- 1945 — 3月13日23時57分〜14日3時25分、B-29 274機による第1回大阪大空襲。浪速区・西区・南区(現中央区)・港区・大正区・東区(現中央区)・西成区・天王寺区などが被災、焼失面積21.0km2、死者3987人。
- 1946 — 大阪市の戦災焼失区域を示す地図『大阪市地図:戦災焼失区域明示』が地文社により編纂(大阪府立図書館所蔵)。
- 現代 — 難波・浪速区周辺は戦後再建された繁華街として現存する。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 『新修大阪市史』を参照する二次資料と、大阪府立図書館の資料で確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 焼失区域を示した図と座標を重ね合わせる照合まではしていない。ピンは代表点である。
参考・出典
- 第180回大阪資料・古典籍室小展示「大阪・空襲の記録」
大阪府立図書館(公的機関) - 大阪大空襲 - Wikipedia
Wikipedia(脚注に新修大阪市史等の一次出典あり) - 第1回大阪大空襲
大阪市内で戦争と平和を考える会
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