三軒家川上流部跡(百済橋跡碑)|何があった場所か
大正区三軒家を流れる三軒家川は、江戸期には廻船の碇泊地だったと伝わる。上流部は昭和期に埋め立てられたとされ、跡地付近には大阪市設置とされる「百済橋跡」の碑が残る。下流部は今も大阪市管理の普通河川として流れる。
時のながれ
- 江戸期 — 木津川から分岐する三軒家川が廻船の碇泊地となり、西岸に三軒家の町場が形成されたと伝わる
- 昭和期 — 上流部が埋め立てられたとされる(1958年・約340mとの情報あり、一次資料未確認)
- 2001年 — 百済橋の跡地に「百済橋跡」の碑が設置されたとされる(碑面に「平成13年7月 大阪市」)
備考
座標は三軒家東二丁目の代表点(精度: 推定)。現存河川としての三軒家川は大阪市公式ページ(普通河川一覧)で確認済み。ただし上流部埋立(1958年・約340mとされる)と百済橋跡碑の典拠は個人ブログの現地写真記録止まりで、Wikipediaの当該記事は現存しない(検索エンジンの残滓のみ)。一次資料(大正区史・大阪市橋梁資料等)での裏取りが必要。
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近くの痕跡
- 十三間堀川跡(阪神高速堺線下・浪速神社西側)(水の痕跡・約1.3km)
- 第1回大阪大空襲の中心焼失域(ミナミ〜市街西部)(戦の痕跡・約1.6km)
- 「九条」地名の条坊制由来説(諸説併存)(地の痕跡・約1.8km)
- 堀江川跡(北堀江・南堀江間)(水の痕跡・約1.9km)
参考・出典
- 河川の附近地にかかる制限について(大阪市管理の普通河川一覧に三軒家川の記載)(大阪市建設局)
- 大阪市大正区三軒家東「難波島」と「百済橋跡」(個人ブログ(現地碑の写真記録・2001年7月大阪市設置の銘板を撮影))