「豊崎」地名と難波長柄豊碕宮伝承(豊崎神社)|何があった場所か

「豊崎」の地名は、孝徳天皇が営んだ難波長柄豊碕宮に由来すると伝えられ、豊崎神社がその伝承地として知られる。ただし戦後の難波宮発掘調査の進展により、宮は法円坂の前期難波宮と同一とする説が有力となり、当地に宮があったとする説は否定的とされている。
時のながれ
- 白雉元年(650)頃 — 孝徳天皇が難波長柄豊碕宮を営んだと『日本書紀』に記される
- 正暦年間(990〜995) — 宮の廃墟を悼み、当地に小社(豊崎神社の前身)が建てられたとの伝承
- 明和9年(1772) — 火災により神社の記録が失われたとされる
- 戦後 — 難波宮の発掘調査が進み、長柄豊碕宮は法円坂の前期難波宮と同一とする説が有力に。豊崎所在説は否定的とされる
現地の写真


編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 地名に伝承として残っていることは確認した。
そのため、このページではこうしています
- 宮の実在地は特定されておらず、確かめられるのは地名に伝承が残っているという事実である。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 難波長柄豊碕宮が実際にあった場所については、法円坂(前期難波宮)とする説が有力である。大阪市の顕彰史跡のページにも、この地に存在したとする説は否定されている旨が明記されている。
参考・出典
- 24.豊崎(とよさき)神社
大阪市建設局 - 豊崎神社(公式サイト)
豊崎神社
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 南浜墓所跡(大坂七墓)(死の痕跡・約412m)
- 中津川跡(新淀川に呑まれた旧河道・北区中津)(水の痕跡・約581m)
- 大坂七墓巡りの風習(噂の痕跡・約864m)
- 「梅田=埋田」地名伝承(地の痕跡・約943m)