旧大阪砲兵工廠 化学分析場(現存する煉瓦遺構)|何があった場所か
旧大阪砲兵工廠に残る数少ない建物遺構の一つ。1919(大正8)年竣工のネオ・ルネサンス様式の煉瓦造2階建(置塩章設計)で、兵器の研究や化学実験が行われたとされる。戦後は大阪大学工学部の校舎、のちに自衛隊大阪地方連絡部として使われた。現在は大阪城公園の北西部に残るが、一般には公開されていない。
時のながれ
- 明治3年(1870) — 大阪城三の丸米蔵跡地に造兵司(のちの大阪砲兵工廠)が置かれ、以後拡張を重ねる
- 大正8年(1919) — 化学分析場が竣工。ネオ・ルネサンス様式の煉瓦建築(砲兵工廠建築部・置塩章設計)
- 昭和20年(1945) — 8月14日の空襲で工廠施設の80%以上が破壊される中、この建物は焼け残ったとされる
- 戦後〜平成10年(1998) — 大阪大学工学部校舎、1964年からは自衛隊大阪地方連絡部として使用される(使用終期は資料により1994〜1998年と幅がある)
- 現在 — 大阪城公園北西部に現存するが一般公開はされていない。2025年時点で崩落の危険により立入禁止(近畿財務局管理)。今後の活用方針は確認できていない
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市の2026年7月更新のページでは、建物は現在「放置」とされている。2023年の報道では、近畿財務局が管理し、具体的な活用方法は未定とされていた。
そのため、このページではこうしています
- 一般公開されていないため、敷地や柵内には立ち入らず、現地の標識に従ってほしい。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 最新の保存・活用の方針と今後の予定は確認できていない。
- 自衛隊による使用が終わった年は、資料によって1994年・1995年・1998年と分かれる。退去と使用終了のどちらを指すかなど、基準が異なる可能性があり、どの年のことか確定できない。
参考・出典
- 大阪砲兵工廠跡
大阪市中央区 - 旧大阪砲兵工廠化学分析場・大阪砲兵工廠の鉄材残滓
国土交通省 地域観光資源の多言語解説文データベース - 旧大阪砲兵工廠(きゅうおおさかほうへいこうしょう)化学分析場跡
Osaka Metro オオサカマニア - ピースおおさか モデルコースA(大阪砲兵工廠跡をたどる)
大阪国際平和センター(ピースおおさか) - 軍都だった大阪の中心 旧大阪砲兵工廠
関西テレビ放送
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
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