御勝山古墳(大坂冬の陣・徳川秀忠本陣跡)|何があった場所か
5世紀前半築造と推定される前方後円墳(全長約120m)。もとは岡山・丸山と呼ばれたが、大坂冬の陣で徳川秀忠の陣所となり、戦勝を記念して「御勝山」と呼ばれるようになったという。前方部は勝山通と公園に変わり、後円部が大阪府史跡として残る。
時のながれ
- 古墳時代(5世紀前半) — 全長約120mの前方後円墳として築かれたと推定される。かつては岡山・丸山と呼ばれた。
- 1614年(大坂冬の陣) — 徳川秀忠がこの丘に陣を敷き、戦勝を記念して「御勝山」と呼ばれるようになったという。
- 現代 — 前方部は勝山通と御勝山公園に変わり、後円部が大阪府史跡として保存されている。
備考
所在地(生野区勝山北3-16)・秀忠陣所・府史跡指定は大阪市公式ページで確認。名の由来は「〜という」の伝承的表現のため断定しない。座標はWikipedia記載の墳丘位置(34°39′16.1″N 135°32′9.5″E)から換算。
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参考・出典
- 7.御勝山(おかちやま)古墳 大阪府史跡(大阪市(公式))
- 御勝山古墳 - Wikipedia(Wikipedia)
- 御勝山古墳と秀忠の本陣跡 その1(大坂城豊臣石垣コラム)