城東練兵場跡(森之宮)|何があった場所か
大阪城の東側、森之宮一帯に旧陸軍の練兵場があったと伝えられる場所。ただし練兵場そのものの痕跡は現地に残っておらず、いま読み取れるのは区画の形・地名・跡地の使われ方だけ。跡地は電車区や団地になっている。
時のながれ
- 明治期 — 大阪城東側の森之宮一帯に陸軍の練兵場が設けられたと伝えられる(一次資料は未確認)。
- 大正〜昭和初期 — 飛行実験や東京―大阪間の郵便・定期航空の発着地として利用されたと伝えられる(一次資料は未確認)。
- 昭和期 — 隣接する大阪陸軍造兵廠の拡張にともない、敷地が工廠へ組み込まれたと伝わる。大阪市城東区の公式ページは同地を造兵廠の敷地として説明している。
- 戦後〜現代 — 跡地に森ノ宮電車区や森之宮団地などが整備された。城東区公式は「戦後この地域には住宅や施設が建設され、当時の面影は失われています」と記す。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市城東区の公式ページは、この一帯を「大阪陸軍造兵廠」の敷地として説明している。
- 同じ公式ページは、戦後この地域に住宅や施設が建設され、当時の面影は失われていると記している。
そのため、このページではこうしています
- 地図上のピンは森之宮周辺の推定地点で、練兵場の範囲を示すものではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「城東練兵場」という名称そのものを裏づける一次資料は確認できていない。
- 区の公式ページは造兵廠については詳しく述べているが、練兵場についての記述はない。
- 面積や転用年といった具体的な数字は、いずれの資料でも確認できていない。
参考・出典
- 大阪砲兵工廠 - Wikipedia
Wikipedia - 森之宮 - Wikipedia
Wikipedia - 大阪市城東区:区内南西部(地名の由来)
大阪市城東区(公式)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 森の宮遺跡・貝塚(旧河内湾/河内湖岸線の物証)(水の痕跡・約534m)
- 猫間川跡(玉造稲荷神社の猫間川川浚碑)(水の痕跡・約543m)
- 「玉造」地名(玉作部の居住地伝承)(地の痕跡・約549m)
- 三光神社「真田の抜け穴」(戦の痕跡・約861m)