曽根崎川(蜆川)跡|何があった場所か

堂島川から分流し、堂島と曽根崎新地の境を流れていた川の跡。別名は蜆川(しじみがわ)。近松門左衛門『曾根崎心中』の舞台としても知られ、明治期の大火のあと埋め立てられて姿を消した。北新地駅のそばに跡碑が残る。
時のながれ
- 元禄初期(1690年前後) — 河村瑞賢により川筋が改修される。左岸に堂島新地、右岸に曽根崎新地が拓かれ、米市場や歓楽街として栄えた。
- 元禄16年(1703年) — 近松門左衛門『曾根崎心中』が上演され、蜆川周辺が物語の舞台として広く知られるようになった。
- 明治42年(1909年) — 北の大火(天満焼け)の焼跡の瓦礫の捨場となり、上流部が埋め立てられた。
- 大正13年(1924年) — 残っていた下流部も埋め立てられ、川は完全に姿を消した。跡地は北新地の街並みとなり、蜆橋などの橋名が地名として残る。
現地の写真


編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市建設局の「曽根崎川跡碑」のページで、元禄初期の河村瑞賢による改修、明治42年の北の大火のあとに上流部が埋め立てられたこと、大正13年に川が完全に姿を消したこと、跡碑が北区曽根崎新地一丁目付近(JR東西線・北新地駅のすぐ南)にあることを確認した。
そのため、このページではこうしています
- ピンは跡碑と北新地駅の周辺のおおよその位置で、かつての川筋そのものを示すものではない。
現地確認: 実施済み
参考・出典
- 大阪市:19.曽根崎川(そねざきがわ)跡碑(建設局)
大阪市(公式) - 大阪市:蜆橋(しじみばし)橋梁顕彰碑(建設局)
大阪市(公式) - 曽根崎川 - Wikipedia
Wikipedia
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- お初天神(露天神社)と曽根崎心中(噂の痕跡・約339m)
- 「曽根崎」地名の由来(曾根崎洲・そね説)(地の痕跡・約446m)
- 「梅田=埋田」地名伝承(地の痕跡・約557m)
- 堂島・中之島「島」地名群(地の痕跡・約596m)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 露天神社(お初天神)同じ物語の舞台となった、曽根崎の社。