曽根崎川(蜆川)跡|何があった場所か
堂島川から分流し、堂島と曽根崎新地の境を流れていた川の跡。別名は蜆川(しじみがわ)。近松門左衛門『曾根崎心中』の舞台としても知られ、明治期の大火のあと埋め立てられて姿を消した。北新地駅のそばに跡碑が残る。
時のながれ
- 元禄初期(1690年前後) — 河村瑞賢により川筋が改修される。左岸に堂島新地、右岸に曽根崎新地が拓かれ、米市場や歓楽街として栄えた。
- 元禄16年(1703年) — 近松門左衛門『曾根崎心中』が上演され、蜆川周辺が物語の舞台として広く知られるようになった。
- 明治42年(1909年) — 北の大火(天満焼け)の焼跡の瓦礫の捨場となり、上流部が埋め立てられた。
- 大正13年(1924年) — 残っていた下流部も埋め立てられ、川は完全に姿を消した。跡地は北新地の街並みとなり、蜆橋などの橋名が地名として残る。
備考
大阪市建設局公式『曽根崎川跡碑』ページで、元禄初期の河村瑞賢による改修、明治42年の北の大火後の上流部埋立、大正13年の全面消滅、跡碑の所在(北区曽根崎新地一丁目付近・JR東西線北新地駅のすぐ南)を確認(2026-07)。座標は跡碑・北新地駅周辺のおおよその位置。
参考・出典
- 大阪市:19.曽根崎川(そねざきがわ)跡碑(建設局)(大阪市(公式))
- 大阪市:蜆橋(しじみばし)橋梁顕彰碑(建設局)(大阪市(公式))
- 曽根崎川 - Wikipedia(Wikipedia)