杭全神社と「杭全」地名(平野郷とのつながり)|何があった場所か
難読地名「杭全(くまた)」は、平安初期に坂上田村麻呂の子・広野麿がこの地を賜り、その子・当道が貞観4年(862年)に祀ったと伝わる杭全神社の鎮座地。神社は自治都市として栄えた「平野郷」の総社とされ、地名そのものの語源は諸説あるとされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市平野区の公式ページと神社の公式ページで、坂上氏による創建伝承(貞観4年=862年)と、平野郷の総社という位置づけを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 「廣野」から「平野」への転訛は自治体の公式が明記しているが、これは「杭全」の語源とは別の話である。
- ピンは神社の位置に置いているが、地名の由来は町域の広がりを持つ話である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「杭全」そのものの語源(杭を全て打ち終えたとする説、川俣が転じたとする説など)は出典がはっきりせず、資料での確認には至っていない。
参考・出典
- 大阪市平野区:杭全神社
大阪市平野区役所(自治体公式) - 大阪市平野区:平野コース(区の歴史・魅力)
大阪市平野区役所(自治体公式) - 杭全神社(公式サイト)
杭全神社(公式) - 杭全 - Wikipedia
Wikipedia(地名由来は諸説併記・出典不明瞭と明記)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
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