杭全神社と「杭全」地名(平野郷とのつながり)|何があった場所か
難読地名「杭全(くまた)」は、平安初期に坂上田村麻呂の子・広野麿がこの地を賜り、その子・当道が貞観4年(862年)に祀ったと伝わる杭全神社の鎮座地。創建時の社名は祇園社で、社号が「杭全神社」と定められたのは明治になってから。地名そのものの語源を示す確かな資料は確認できていない。

近くの痕跡
- 喜連・瓜破 難読地名(喜連瓜破駅周辺)(地の痕跡・約2.1km)
- 模擬原子爆弾投下跡地之碑(恩楽寺)(戦の痕跡・約2.7km)
- 御勝山古墳(大坂冬の陣・徳川秀忠本陣跡)(戦の痕跡・約3.4km)
- 疎開道路(生野区・建物疎開の名残)(戦の痕跡・約3.6km)
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 坂上廣野麿が杭全庄を賜って領有したことと「廣野」から「平野」への転訛は大阪市平野区の公式ページで確認した。広野麿の子・当道による貞観4年(862年)の祇園社の創建と、明治になって社号が杭全神社と定められたことは、神社の公式ページで確認した。神社はこの由緒を、所蔵する絵巻『平野郷社縁起』(享保3年=1718年成立)にもとづいて紹介している。
そのため、このページではこうしています
- 「廣野」から「平野」への転訛は自治体の公式が明記しているが、これは「杭全」の語源とは別の話である。
- ピンは神社の位置に置いているが、地名の由来は町域の広がりを持つ話である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「杭全」そのものの語源(杭を全て打ち終えたとする説、川俣が転じたとする説など)は出典がはっきりせず、資料での確認には至っていない。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この痕跡を掘り下げた記事
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 杭全神社(くまたじんじゃ・本社)御田植神事の「福の種」や狛犬の「足止め」など、神社が伝える福の話をたどっています。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 大阪市平野区:平野コース(区の歴史・魅力)
大阪市平野区役所(自治体公式) - 杭全神社(公式サイト)
杭全神社(公式) - 杭全神社について(御由緒・『平野郷社縁起』にもとづく)
杭全神社(公式)
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録している。
- :編集部の調査メモの、何をどの資料で確かめたかを分けて書き直した。大阪市平野区の公式ページで確かめられるのは坂上廣野麿の領有と「廣野」から「平野」への転訛で、貞観4年(862年)の創建と平野郷の総社という位置づけは、神社の公式ページにだけ記載があるためだ。
- :要約の「平野郷の総社とされ」を「創建時の社名は祇園社で、社号が杭全神社と定められたのは明治になってから」に、「語源は諸説あるとされる」を「語源を示す確かな資料は確認できていない」に改め、調査メモも合わせて直した。神社の公式ページの「総社」は、社内の熊野権現社を総社と定めた話で、平野郷の総社という意味ではなかったためだ。出典からWikipediaを外し、神社の由緒のページを加えた。
この場所について
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