森の宮遺跡・貝塚(旧河内湾/河内湖岸線の物証)|何があった場所か
中央区森ノ宮の森ノ宮ピロティホール地下には、西日本有数とされる貝塚を伴う森の宮遺跡がある。貝層の下層は海水産マガキ、上層は淡水産セタシジミが主体で、上町台地東側がかつて河内湾から河内潟・河内湖へと変化した水域だったことを示す物証とされる。
時のながれ
- 縄文時代(中期〜後期) — 上町台地東斜面の森ノ宮周辺で人々が貝や生活ゴミを捨てた貝塚が形成される。下層では海水産マガキが主体で堆積(大阪市文化財協会資料)。
- 縄文晩期〜弥生前中期 — 淀川・大和川の土砂堆積により河内湾の淡水化が進み、貝塚の上層では淡水産セタシジミが主体となる(河内湾→河内潟→河内湖への変化と対応、大阪市公式・文化財協会資料)。
- 1971年(昭和46年) — 大阪市立労働会館の新築に伴う学術調査で貝塚が発見される。屈葬人骨等も出土(大阪市公式ページ)。
- 現代 — 跡地は森ノ宮ピロティホール(高床式)として整備され、地下に遺跡が保存・展示室が期間限定で一般公開されている。
備考
大阪市公式ページ(建設局「大阪市:58.森の宮遺跡」)および大阪市文化財協会公式ページで、1971年(昭和46年)の発掘・貝塚の層序(下層マガキ→上層セタシジミ)・河内湾→河内潟→河内湖の変化を確認済み。既存収録の id6「古代河内湖の名残(鶴見・城東低地)」は鶴見区・城東区の低地全体を対象とし地名由来中心の切り口だが、本件は中央区森ノ宮の一地点での考古学的発掘物証(貝塚)という別の切り口であり、実質同一のスポットではないと判断した(duplicateとはしていない)。座標は住所(大阪市中央区森ノ宮中央1-17-5、森ノ宮ピロティホール)と最寄駅位置からの推定であり、厳密な地図ピン合わせ(GIS実測)は未実施のため精度に留意が必要。人骨(屈葬)が出土している点は史跡・考古遺物としての性質が強く、慰霊的配慮を要する要素ではないが、出土人骨の展示に関する記述は品位を保った表現にとどめるべき。
参考・出典
- 58.森の宮遺跡(もりのみやいせき) - 大阪市(大阪市(建設局))
- ポスター展示「森の宮遺跡と縄文土器」(一般財団法人大阪市文化財協会)
- 森の宮貝塚出土人骨 一括(11体) - 大阪市(大阪市(教育委員会))